豊平川にかかる大きな橋として、豊平
橋、一条橋、東(あずま)橋があった
が、東橋の下の河川敷に「サムライ部
落」という名の集落があった。そこに
は、戦争や災害で住む家や家族を無
くした人々がバラックを建てて住み着
いていた。職業としては雑品屋が多か
ったようだ。橋の上から見ると、ゴミの
中に人々が住んでいるように見え、そ
の中から元気な子供の声も聞こえた。
母親から聞いた話だが、あのような環
境の中で暮らしていても、当時、北大
に入った子供や2000万円も貯め込
んだ人もいたそうである。
昔は、なんといっても貧乏人の中の貧
乏人といえば公務員や鉄道員であっ
た。なにせ「公務員には嫁がこない」と
いう時代であったから、どれだけ貧乏
であったか察しがつくと思う。
|