宗教と人生観


私の身内にも宗教関係者がいるのですが、その宗教の戒律を守らず、また神に感謝す ることもあまりありません。その宗教では、タバコや酒、コーヒーも禁止され収入の10パ ーセントを寄付として教会に納めることになっております。ここまで述べれば何という宗 教であるかは察しがつくと思います。

しかし、その人は、タバコはプカプカふかしますし、毎日晩酌をしています。
晩酌の後にはテレビを見ながらコーヒーを飲んでいます。お布施は収入が少ないという 理由で納めていないそうです。
私はその身内に会う度に、戒律を守らなければ、バチがあたるぞ!と言って上げてるの ですが、笑い飛ばされます (^^)。
このように戒律を守らない人にとっては、宗教というのは単なる気休めであると思うので す。

けれども、誰も彼もが皆、一貫した方針のもとで自分の生活態度を決めているとばかり はいえないようです。人びとの中には、ある時は馬鹿におおらかにかまえているかと思う と、他の時には、ひどくケチくさくコセついて振る舞うとか、殊勝な信心家とみえる人が、 実は腹ぐろい人間として表れたりするということもあると思います。
そのような人たちは、一つの人生観ではなく、いろんな人生観をゴチャゴチャにもってい て、ときに応じて、あれこれのものがでてくるのです。世間には、こういう人が決して少な くないものです。

なるほど、いろんな人生観をあれこれとつかう人は、世間的には良いふるまいができる という利点をもっているようですが、他方では、どうもあの人間は信用できないというよう に人から見られるという欠点も持たざるをえないでしょう。

しかも、人間が生きていく道に、そんなにいくつもの異なった真実の道があるわけではな いので、一貫した人生観でやっていかなければ、ひどくムダな生活に時を費やしてしまう ということになるわけです。
こういうことが分かりますと、何としても、しっかりとした人生観を持つことが大切だと考え なければならないと思います。

おわり



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