撃たせてから討つ、真珠湾攻撃


日本軍の真珠湾攻撃は、初めからアメリカに察知されていたという話があります。
そのように考えなければ、航空母艦4隻を主軸とする日本の大機動部隊が、アメリカの 偵察機や潜水艦に発見されずに、ハワイの近くまで進航できるわけがないのです。

当時のアメリカは、それまで中立政策を保っていましたが、イギリスがドイツに攻撃され ていたため参戦の機会を伺っていたといいます。
そうした情勢の中で、すでに日本軍が真珠湾を攻撃するという情報が入っていたので す。そこで、アメリカは、日本軍に「撃たせてから討つ」という方針をとったそうです。

日本は、宣戦布告よりも前に攻撃(宣戦布告は攻撃前に行ったという説もあります)した ことにより、アメリカ国民の怒りをあび「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れる な)の合い言葉を生み、アメリカの世論を日本との戦争に向かわせるきっかけになった のです。これにより、アメリカの為政者がもくろんだ通りになったといえます。


当時、日本とアメリカの石油、鉄など主要物資の生産費は、1対77で、しかも、日本 は、戦争に必要な物資のほとんどを、アメリカに頼っていたのでした。
これでは、人のふんどしを借りて相撲を取るようなもので、戦争には勝てるわけがありま せん。山本五十六海軍司令長官は、早期講和を目指していたようです。

そして、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃したとき、イギリスのチャーチル首相は「これでドイ ツに勝利することができる」と言ったそうです。
そうして中立を保ってきたアメリカが参戦し、結局、第二次世界大戦では、生産力や資 源に劣る日本とドイツ、イタリアの枢軸国側が敗北するのです。

おわり



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