貧乏からの脱出そして再び貧乏生活へ 


私が小学5年生の頃、突然、当時住んでいた札幌市中央区の家を立ち退くことになりま した。これも貧乏のためかと思いましたが、立ち退き料に当時100万円も地主から貰っ たのです。これは、現在の貨幣価値で2千〜3千万円位でしょうか。
 
私たち家族は、そのお金で、札幌市北区に土地を買い新居を建て、新しい生活を始め ることになります。現在、その辺りは地下鉄駅やスーパーマーケット、大型家電店などが 建ち並んでおりますが、当時はまだ見渡す限りのレントコーン畑でした。夜ともなれば、 どこからともなく、牛の「モーモー」という鳴き声やカエルの「ゲロゲロゲロ」という鳴き声 が聞こえてまいりました。
 
新居には、まだ出始めの白黒テレビ、洗濯機、電蓄、サークラインなどの電化製品が備 えられ、以前から見れば夢みたいな生活になりました。しかし両親は、マイカーのことは 夢にも考えておらず、新居の通路も一間幅(約1.8メートル)しかないためクルマは入 れなかったのです。
 
その後、少年期から青年期の約20年間は北区の家で生活、やがて私は、登別市の叔 父の紹介で結婚します。そうして子供もできて、楽しい家庭を作ろうとしていた矢先に、 大嘘吐きの朝鮮人に騙されてしまいます。その結果、北区の家を捨て札幌市西区に家 を新築(現在の家)し、移り住まなければならないことになります。
 
当然、朝鮮人から立ち退き料など貰えませんから、公庫と銀行に膨大な借金をして土地 を買い、家を建築しなければなりませんでした。またまた、貧乏生活の始まりでありま す。

おわり



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