ラーメンの思い出


子供の頃からラーメンは好物でした。当時はカレーライスや肉類は御馳走でなかなか食 べられる機会がなかったのですが、ウドンやラーメンは母親がよく作ってくれました。ちょ うど自宅の裏がウドン屋であったため麺を安く買うことができたようです。
狸小路やススキノには昔からラーメン屋が多く、街に出たら必ずといって良いくらいラー メンでした。印象に残ったのは「味の三平」でしたが、評判が良く1時間近く待たされて食 べたのはラーメンではなく、モヤシのようでした。

ラーメンの思い出は、なんといっても私が中学生のときに函館で食べたラーメンです。家 族と湯ノ川温泉に行く時に立ち寄った朝市の近くのラーメン屋でのことでした。
そのラーメン屋さんは、主に行商人相手だったようで、年輩のおじさんとおばさんの二人 で運営をしていました。私と弟そして妹はラーメンを注文し、両親はソバを注文しました。 ソバはすぐにできましたが、私たちが頼んだラーメンは、なかなかできてきません。


ラーメン屋のおばさんが何をしていたかというと、ラーメンをゆでながら行商人と長々と 世間話をしているのです。私たちは、腹を空かせながらそれを黙ってみていました。そし て数十分も待たされたあげく、やっとできたと思ったら、既にのびているのです。ソバな のか、ウドンなのか分からないような味で両親に笑われたことを思いだします。

次に思い出すのは、20代のころ、両親そして親戚と恵山に行った帰り、大沼公園で食 べたラーメンです。私の従兄弟が食堂でラーメンを注文したら「さっぽろですか、まるち ゃんですか」と聞くのです。なんのことかと思ったら、なんと、インスタントラーメンだった のです。もう昔の話ですが、当時はインスタントラーメンを食堂で作っても、珍しかったた めか商売になったようです。

最近、生協の食堂で食べたラーメンは、辛くて辛くて、唐辛子を食べているようで、その 名は「ピリカラーメン」。何故、「ピリカラーメン」なのかさっぱり分かりません。

おわり



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