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2002年05月06日
【回想録「4」】
‥…― 犬ぞりとスキー ―…‥
初雪が降ると同時にソリやスキーで遊んだものである。僅か数センチの初雪では、スキーの跡が融けて地面が出てきたが、そんなことは構わずただひたすらスキーを楽しんだ。

その頃、チビという名の犬を飼っていた。子供の私から見れば大きな犬であった。いつのことだっただろうか、犬ゾリで遊ぼうと思い、ソリにチビを繋いで、100メートルくらい引っ張っていこうと考えた。
チビはどこかに連れて行かれると思ったのか、前足で踏ん張りながら動こうとしなかった。
そこを無理矢理引っ張って、ようやく畑の裏側までたどり着いた。そしてソリに乗ろうと思ったときチビは私を置き去りにしてソリを引きずりながら猛烈な勢いで走り出した。私はいったん後ろにひっくり返ったが、気を取り直して追いかけたが間に合わず、チビのほうが先に家についてしまった。まるでドリフターズのコントの様で、その光景を見ていた人がいたとしたら腹を抱えて笑ったに違いない。

このチビという犬は、私が通っていた床屋さんからもらってきた犬であった。縁の下で育ったせいか、自宅に連れてきても縁の下に潜り込み、餌を食べるときしか出てこなかった。
私と犬とのつき合いはチビから始まり、ジョン、タロ、チャロ、クロ、二代目ジョン、クニマツ、チャッピーと8匹目になる。

遊ぶ物がない時代には、遊ぶ物を考え出したのである。その一つとして「豆スキー」というものがあった。どのようなもので、どうやって遊ぶかというと、幅2センチ、長さ5センチくらいの木を見つけてきて、雪の上を滑るように削る。スキーというよりも今流行のスノーボードのミニチュアのようなものである。
そして手頃な雪山を造り、それに溝を掘る。この場合、旗門を設けたり蛇行やジャンプなどの変化を付ける。コースができあがったら、頂上から豆スキーを滑らせるのである。コースをはみ出さずに最短時間でゴールに着いた方が勝ちである。


【これから遠足です】
「跡つき」という遊びもあった。それは、先頭の者が歩いたところを同じように歩くのである。スキーを履いて遊ぶ場合もあるが、屋根から飛び降りたりすることもあるので長靴で遊ぶ場合が多かった。

先頭者は小川を飛び越えたり、木に登ったりするので、その後に行く者は、同じ歩き方や飛び方ができなければ後尾につくのである。

当然、先頭者が転んでも後尾につかなければならない。この遊びには、ハンディがないため身体の大きな年長者が何かと有利だった。
当時のスキー場としては、荒井山や南斜面があったがリフトなどの設備はなかった。
現在、小中学校のスキー遠足はバスを使うのであるが、私が子供の頃は1時間以上もかけて歩いて行ったものである。また、ワックスは仏壇用のローソクを代用した。母親が、にぎってくれた「おにぎり」が凍ってカチンカチンになっていたのを思い出す。新しいスキー用具を買い揃えることが出来なくても、親戚や知人のお下がりを利用したものであった。

歩いて20分くらいで行けるスキー場もあった。そこは、北海道知事公館である。当時の知事公館の塀は壊れていたため、どこからでも入られるのである。塀の隙間から入って知事公館の中庭の坂でスキーをして遊んだものだった。

塀が壊れていたのは知事公館だけではなく北大植物園もそうだった。ある夏の日に、十数名の子供同士で植物園の塀の穴から入り、正門から出ようとした。そのとき、不審に思った管理人から入場券を見せるように言われた。まさか有料であったとは知らず、あっけにとられた。皆が困っているとき、年長者が「あ、カラス」と叫んで空を指さした。管理人がつられて空を見たとき、「逃げろ」という号令で皆逃げ出した。私も一歩遅れて逃げた。あまりにも馬鹿馬鹿しかったためか管理人は追ってこなかった。

皆、貧乏であったから遊び道具は自分で造る。目的地までは歩く。危ないときは逃げる。そして、どこまでも走る。「造る、歩く、逃げる、走る」、それが私の幼年時代であった。
先日、家族で京王プラザホテルにいって和食のフルコースを食べたが、昔はそのようなことなど考えられなかった。
 つづく 
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最終更新日 2022/12/18 access counter
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元北海道大学大学院工学研究科・工学部 文部科学技官 石川 栄一
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