第88回全国高校野球選手権大会


 

第88回全国高校野球選手権大会は、早稲田実業が三連覇を狙う駒大苫小牧を再試合にて一点差という小差で破り、夏の大会初優勝という結果になりました。地元の東京都国分寺市では、三千人に上るファンが選手達を見ようと大フィーバーしているそうです。

しかし、初優勝ということで嬉しいのは分かりますが、その相手は昔から雪のため半年以上は土の上での練習が十分に出来ないと言われていた北海道のチームですね。それでも大フィーバーするほど嬉しいということは、東京地区のチームは、余程弱かったという証拠と思います。

たとえば、1963年(昭和38)春の選抜35回大会の時です。北海道からは名門の北海高校が代表として甲子園の切符を手に入れました。
大会が始まりますと北海高校は、日南高校(宮崎)、PL学園(大阪)、享栄商業(愛知)、早稲田実業(東京)といった立ちはだかる強豪をことごとく打ち破り、ついに決勝に進出しました。決勝の相手は下関商業(山口)でした。

NHKのアナウンサーは、北海高校VS早稲田実業との準決勝の折、すでに決勝に進出を決めている下関商業の応援者に対し「北海高校と早稲田実業、どちらに勝って欲しいですか」と質問したところ、口を揃えるように「北海高校に勝って欲しいです」と答えていました。

このように正規の選手以外でも、北海道のチームは弱いという印象を強く持っており、もし決勝に進出してきたら、いいカモに出来ると思っていたに違いないものと思います。案の定、北海高校は決勝戦にて下関商業に10対0の大差で負けてしまいました。


春の選抜35回大会において、話題という点で独占したのは北海高校でした。北海は決勝までの4試合が全て逆転勝ちでした。準決勝の早稲田実業(東京)戦では、大会新の6号となる吉沢投手による逆転サヨナラ・ランニングホームラン。さらには、大会タイ記録の一試合10盗塁も記録しました。

それにしても、春の選抜35回大会で準優勝の立役者となった吉沢投手は、今はどうしているのでしょうか。彼の希望であった巨人軍に入ったというのは風の噂で知っていますが、そのとき旧北海中学(現北海高校)出身であった私の父は、「巨人になんか行かない方がよい、ピッチャーの潰し合いだからな」と言っていたのを思い出します。

当時、父はポッポ屋(国鉄職員)であり、野球は国鉄スワローズ(現ヤクルト)のファンだったので、そのように言いたいのは良く分かりますが。当時のスワローズには、巨人キラーの名ピッチャー金田正一がいた時代です。

それはそうと、何故、マスメディアは両軍の投手中心にしか取材しないのでしょうか。これでは英雄崇拝主義のようなものだと思います。野球は投手だけではできません。選手9人全員が力を合わせて、全力で相手チームに立ち向かわなければ勝負になりません。現在のマスメディアは一体何を考えているのでしょうか。
2006.8 石川 栄一
おわり



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