2002年05月06日

【回想録「6」】

‥…― 少年少女合唱団 ―…‥

学校から家に帰ると、どこからかカチカチという拍子木の音が聞こえてきた。紙芝居であ
る。今はテレビという文明の利器があるためか紙芝居は廃れてしまったが、当時、子供の
私にとっては楽しみの一つであった。

弁士のおじさんは紙芝居をしながら飴を売って、その売り上げを生活の糧にしていたよう
であった。クルクルと巻いた形の飴で正式名称は忘れたが、1個5円であったことは記憶
にある。しかし、私の家は貧乏であったため、その5円の小遣いがもらえなかった。仕方な
く、手ぶらで紙芝居を見ようとすると弁士のおじさんから「只見は後ろだよ」と言われた。私
や弟、妹はいつも後ろだった。そもそも5円というお金は私達にとって大金であり、当時は
約一月分の小遣いに相当したのである。
自転車の荷台に積まれた小さな芝居小屋は子供の夢を運んでやってきて、そして私たち
の成長とともにいつの日か消え去った。

ある日母親は、こともあろうに、この私をNHKの少年少女合唱団に入団させようとしたこ
とがあった。母親は女学生時代に皇族や貴族の前で合唱をしたことがあり、いまでもその
時の写真を自慢げに見せる。
そのような母親だから、なんとか私を少年少女合唱団に入団させ、将来は歌手としてデビ
ューさせたいという夢があったのかもしれない。もし私が歌謡界にでも入っていたら、近頃
流行っている国籍不明の邦楽など世の中に出現しなかったに違いない。字幕スーパーが
出なければその歌詞さえ聞き取れず、何を歌っているのか、さっぱり分からないような音
楽は、日本の文化を破壊すると思うのである。

しかし母親の夢破れ、少年少女合唱団からは「現在募集しているのは女子のみです」とい
う返答があったそうだ。おそらく体よく断られたのであろう。
その後、母親が自慢する私の美声は小学校の学芸会などで披露されることになる。ところ
が音楽の時間、面白くないことが一つあった。それは器楽合奏の時、私はいつまでたって
も小太鼓で、女性教師のお気に入り(そう思っていた)が大太鼓を叩いていたことである。
それでも子供ながらカスタネットや縦笛よりも優越感があったのは事実である。
このような文章を書いていると、どこからか「アテネのまちまちトルコの兵隊すすむ」とトル
コ行進曲が聞こえてくるような気がする。


パッチで遊ぶ
お気に入りといえば女性教師と私の家
族とでスズラン狩りにいったことがある
から、クラスの生徒から見れば、私も女
性教師のお気に入りの一人であったの
かも知れない。

女性教師は1週間ほど旅行でいなかっ
たことがあった。そのとき代わりとして
担任を受け持ったのも同世代の若い女
性教師であった。この先生は小学校5
年生から我がクラス担任になるが、意
外な別れ方をしなければならないことに
なる。
やがて、クラス担任の女性教師が旅行
から帰ってきた。授業が始まるとき、生
徒全員にお土産の飴を1個ずつくれ
た。飴を味わうのは短い時間であった
が、楽しいひとときだった。そして、たい
へん美味しかった。

今でも、思い出として残っているのは、
楽しかったことや辛かったこと、そして
お金の事や食べ物の場合が多い。こ
れも貧乏であったからだと思う。貧乏が
べつに苦にはならなかったのは何故だ
か分からない。
欲しい物があったが、はじめから買って
もらえないと思っていたから、ねだるだ
け無駄だと考えた。男は無駄なことはし
ないものである。
その後、一番欲しかった自転車を買ってもらえたのは、私が小学校5年生になってからで ある。それまでは爺ちゃんの自転車を乗り回した。27インチというサイズは子供の私には 非常に大きく、ペダルに脚がとどかないため横乗りで乗った。

ようやく買ってもらった自転車は、近所の子供達で交代して乗って遊んだ。当時はいくら自 分の物であっても独り占めは許されなかったし、皆で遊ぶことにより仲間外れにならず自 分の立場を強化し交流を深めることにもなったのである。

///// つづく /////



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