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チャールトン・ヘストン
ソフィア・ローレン |

日本語字幕を表示するには画面右下(設定 )で字幕「自動生成(日本語)」を指定します。但しあまり正確ではありません。 |
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こちらに掲載した思い出の名画は、主に私が学生時代に家族と一緒に鑑賞した映画で、たいへん感激した名画ばかりです。映画音楽も好きで、特に、ベンハーやエルシド、キング オブ キングスなどの作曲家、ハンガリー出身のミクロス・ローザのファンです。サウンドトラック盤のLPレコードは、学生時代から小遣いをはたいて購入しました。
特に、東京オリンピック1964記念100円硬貨18枚で購入した映画「キング オブ キングス」のオリジナル・サウンドトラック盤のLPレコードは、私のたいへん貴重な一枚になっています。
また、もう一枚、忘れられないのは映画「ソドムとゴモラ」のオリジナル・サウンドトラック盤を、丸井デパートのレコード売り場に買いに行ったとき、店舗に在庫がないため、男性店員がわざわざ札幌ビクターまでレコードを取りに行ってくれたことです。
これは、私が無理にお願いしたわけではなく、店員が自発的に、札幌ビクターまでレコードを取りに行ってくれたという全国の店員の鏡というべき非常に親切な対応です。
現在は「在庫がありません。取り置きしておきますか」で済まされることで、店員がわざわざレコードを問屋まで取りに行くことは、絶対にあり得ないことです。昭和の昔は良い時代でした。これは私が17歳の頃です。
私は子供の頃からスペクタクル映画の大ファンで、ここに掲載した作品のDVDやブルーレイディスクそしてレーザーディスクも全て購入し、ローマ人や映画の主人公になったような気分で鑑賞しております。
<2025/9/12 石川 栄一>
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■店員が在庫のないレコードを札幌ビクターまで取りに行った訳
私がなぜレコードの購入を、専門店だった『キクヤ楽器店』や『玉光堂』ではなく、丸井デパートだったのか思い出せませんが、丸井のレコード売り場に電話で在庫確認をした当日、買いに行ったら無かったので、店員が申し訳なく思って、札幌ビクターまで取りに行ってくれたのかもしれません。これはもう60年も昔の話ですから定かではありません。 |
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ミクロス・ローザ(ロージャ・ミクローシュ(ハンガリー語: Rózsa Miklós 1907年4月18日 - 1995年7月27日)
ハンガリー出身のアメリカ合衆国の作曲家。映画音楽の作曲家としてアカデミー作曲賞に17回ノミネートされ、3度受賞している。
1907年、ブダペストでユダヤ人家庭に生まれた。5歳のときにヴァイオリニストであった叔父から受け継いだヴァイオリンを弾くようになり、ピアノとヴィオラについても学んだ。
アメリカ合衆国で映画音楽の作曲家として活躍し『深夜の告白』(1944年)、『白い恐怖』(1945年)や『二重生活』(1947年)、『クォ・ヴァディス』(1951年)、『緑の火・エメラルド』(1954年)、『ベン・ハー』(1959年)などで名声を博した。 |
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ミクロス・ローザ作曲
指揮:アンドレ・リュー
(André Rieu)
オランダの音楽家。世界中で演奏活動を行い、欧米で爆発的な人気を誇っている。
ANDRE RIEU AND HIS JOHANN AMSTERDAM ZIGGO DOME
アンドレ・リュウは2001年10月に、日本で初めて東京でコンサートを開いて以来、ほぼ毎年、日本でのコンサートツアーを行なっている。
また、坂本九のヒット曲「上を向いて歩こう」や、長崎県の童謡である「でんでらりゅう」、2002年公開の映画『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)の主題歌を演奏するなど、日本においても知名度が高くなった音楽家である。 |
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こちらに掲載した思い出の名画は、私が学生時代、家族と一緒に鑑賞した映画で、たいへん感激した名画ばかりです。
特にテーマ曲が好きで、まだCDがない時代、ほとんどの映画のオリジナルサウンドトラック盤LPレコードを購入して、自作ステレオアンプと自作スピーカーボックスで楽しみました。当時はまだ小中学生でしたが、素晴らしい女優さんばかりで憧れました。
70ミリ超大作映画を上映できる映画館「札幌劇場」は、私の父親の北海中学校時代の後輩が経営していたので、顔パスでした。他にも、西部劇や洋画中心の「帝国座」や、怪獣映画やクレージーキャッツ・若大将シリーズの「東宝公楽」なども顔パスでした。「帝国座」と「東宝公楽」がなぜ父の顔パスだったのか子供の私には分かりません。
父が映画館の経営関係で、それほど偉かったとは思えませんが、後輩達や友人、戦友らに対しては、人当たりは良かったと思います。
それから、軍隊で鍛えられたせいか、声だけは大きかったです。
このように融通が利いた昭和の時代は、現在の柔軟性がない息苦しい時代とは異なり、貧困層にとっては良い時代だったのかも知れません。
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