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札幌では、初夏から盛夏に移りゆく季節の中で、毎日のように夏日が続いております。早いもので、今年も残すところ、あと半年になりましたが、皆様は、いかがお過ごしでしょうか。
私は昨年の9月に喜寿(77歳)を越え、歳のせいか、月日の移り変わりが早いように感じられます。あちらこちらガタがきておりますが、家族のために頑張って生きております。
昨年は、親族の不幸が続いたため、気が滅入ってしまうことが多かったのですが、生きているうちに、やり抜かなければならないことが沢山あるので、まだまだ死んではいられないと思う日が続いています。
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医療法人知仁会 八木整形外科病院
札幌市西区西野3条5丁目1-35 |
今年の2月下旬、自宅の門の階段で、転ぶかも、転ぶかも、と思いながら階段を降りると、やはり、足を滑らせ、仰向けに転倒してしまいました。
そのとき、両肩と腰を捻挫してしまい、近くの西野二股整形で湿布薬を貰って貼っておりましたが、やはり歳のせいか、なかなか治りません。
そこで現在、八木整形外科病院でリハビリを受けています。
親切、丁寧な女性セラピスト(身体や心の不調を癒やしケアをする人)ばかりで、お陰様で、腰の方は大分良くなり、寝起きするときの痛みはほぼ治まりました。しかし、どういうわけか、両肩の痛みはなかなか治まりません。
それでも、リハビリの効果かがあったようで、肩の痛みで目が覚めるようなことは少なくなりました。
それにしても、病院の対応がこうも大きく異なるのは何故でしょう。
まず、耳下腺腫瘍の診察のため、昨年の8月に北海道大学病院の耳鼻咽喉科を受診することになり、その時、高慢で無愛想の受付の女性が応対したのですが、外部の医療事務職員であるためか、何をやるにしても面倒くさそうな対応。
他のカテゴリー(つぶやき)にも書きましたが、愛想の悪さでは、群を抜いており、嫁にしたくない女性のサンプルのような職員でした。
高齢者を馬鹿にするのを地で行っているとしか思えません。その受付の女性よりも、警備員や駐車場係のおじさんの方が親切丁寧で愛想も良いのが分かります。
数年前のコロナ禍の頃は、八木整形外科病院の受付も、しゃべると損をすると言いたそうな無愛想な女性の受付でしたが、現在は非常に愛想の良い女性に代わっていました。
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北海道大学病院1階受付 |

高齢者に対して、受付の対応が悪い病院は、医師や看護師の対応も良いとは言えません。このように、大病院に行くほど医師や看護師の対応が横柄になるように感じるのは何故でしょう。私のように、もうすぐ80歳の坂を上らなければならない高齢者は、病院にとって疫病神とでも思っているのかも知れません。
それが証拠に、昨年5月頃から左脇腹が痛むので、2024年7月8日、孝仁会記念病院で内視鏡検査を受けようと思い、消化器内科を受診したところ、女医から「北海道医療センターでは大腸の内視鏡検査は必要ないとされています。私の本音を言わせて貰えば、どうしても大腸の内視鏡検査を受けたいのであれば、保険を使わず私費で検査をして欲しい。厚労省からも高齢者の検査を縮小するように指導されています」と言われてしまいました。
確かに高齢化社会が進行するなか、医療費の削減を目指す厚労省の指導通りかも知れません。
しかし今年の春になっても、左脇腹の不快感が治まらないため、再度、孝仁会記念病院の消化器内科の女医に、大腸の内視鏡検査をお願いしたところ、今回は保険で検査を受けることが出来ましたが、大腸には異常は見当たらないとの診断です。
しかし、左脇腹の不快感として他に考えられるとしては、腰痛が原因とする痛み。これについては、勤医協札幌西病院の内科医から指摘されました。
勤医協札幌西病院の医師から「紹介状を書きます」と言われておりますが、以前、琴似整形外科病院で「腱板断裂」の診断をされたときに紹介されたのは、中央区の病院で自宅から遠くて、不便でしたので、通院を止めた経緯があります。
医師全てではないかも知れませんが、患者の都合も考えないで、紹介状を書くのは、いい加減にしてほしいものです。
母が西区の施設に入所していたとき、体調が悪くなったときにも、西区からはるか離れたところにある新札幌の同系列の病院に入院させられたこともあります。西区には、沢山の病院があるのに、なぜ新札幌の同系列の病院に入院しなければならないのか、摩訶不思議でした。そのときは即刻、新札幌の病院から西区の北海道医療センターに転院させて貰いました。
次に、左脇腹の不快感で思い当たることは、前立腺肥大です。これについては、近くの泌尿器科で定期的に診て貰っていますが、いまのところ影響はなさそうです。
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古古古米、ニワトリが一番食べる 立民原口氏、備蓄米巡り
2025年6月7日 21時44分 (共同通信) 東京新聞 |
立憲民主党の原口一博衆院議員は7日、佐賀市で開かれた会合で、政府備蓄米に関し「古古古米はニワトリさんが一番食べている。人間様、食べてないんですよ」「あんなに恩着せられて買うもんですか。5キロ83円ですよ。それ2千円以上で売ってるわけです」などと発言した。
国民民主党の玉木雄一郎代表が備蓄米について「あと1年たったら動物の餌になるようなもの」と述べ、後に陳謝したことにも触れ「本当のこと言っちゃいけないんですか」とも言及した。
原口氏の発言は、参院選に向け連合佐賀が開いた集会で出た。原口氏は取材に「常識だと思って発言した。動物の餌になるようなもので、汚れたものが入っているかもしれない」と語った。 |
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飼料用として5キロ83円の米を、2千円以上で買う。しかも、先を争って買いに行く。決して笑えない笑い話。ある家族は、一人5Kg一袋までのため、5人家族総出で買いに行ったという切実な話も聞こえてきます。
日本人は、このように昔から先を争う浅ましい人種だったのでしょうか。
誰もが欲しがる安い米。そこには助け合いの精神など一欠片も見られません。私には、とてもじゃないけど、人を押しのけてまで、安い米を買いに行くことはどうも出来ません。
なぜ米価が高騰しているのか、根拠を探ると次の事実が上げられます。
1.北海道から沖縄まで、全国の米価は5kgで4,500円位で昨年の約2倍で取引されて、米価がほぼ同じくらいに設定されています。
2.公正取引委員会は「国民生活安定緊急措置法」と「生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律」や、高価格や品不足の背景に、売り手の競争をしない、させない、ゆがめるような行為があり、独占禁止法の可能性もあるにも関わらず、一向に動きません。
3.農水省などの官僚が、JAや大手の各食販会社などへの天下り先を擁護するためか、政府備蓄米(政府米)の放出が極めて遅い。
これらの事実を鑑みますと、生産者や買い取り業者だけが米価高騰の原因ではなく、JAを筆頭に大きな組織が背後にあると考えます。
つまり、米価高騰の黒幕は農水官僚や農水族議員が糸を引いているのは確実です。特に、コメ1俵は票1票と言われているように、参議院選挙の農民票を当てにしている自民党も裏で動いている可能性もあります。
さらに JA会長「コメは高くない」発言にも米価高騰の操作体質が表れ、国民生活を窮地に追い込んでいるのです。
このような現実の中では、小泉農水大臣がいくら頑張っても、ブランド米の米価が下がることはないでしょう。それは小泉農水大臣が、自民党の失政の尻ぬぐいをしているだけだからです。
どこかの御用新聞が、次の総理を小泉農水大臣を推す声が最多と報道していましたが、どこの国民の支持なのか聞きたいものです。
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「貧乏人は麦を食え」
池田勇人蔵相は、緊縮財政下の不況の上、米価が高騰していた1950年12月7日、参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁した。これが「貧乏人は麦を食え」と伝えられ、国民の反発を買った。
後に首相も務めた池田氏だが、蔵相時代は失言が多く、52年11月27日の衆院本会議では、「不当投機をした人が5人や10人倒産(以下ヤジで聞き取れず)」と述べたのが、「5人や10人が自殺してもやむなし」と伝えられ、翌日辞任に追い込まれた。
写真は池田勇人首相(1964年08月撮影) 【時事通信社】。 |
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そもそも、自民党政権は、
■ 米を買わない農水大臣
■ 医療現場での経験なき厚労省官僚
■ 寝たきりの介護をしたことのない福祉行政トップ
■ 世界の先端DXに精通していないデジタル庁上層部
自民党政権は、庶民の暮らしも、心の痛みもわからない、この国の最高権力者たちばかりで構成された、白痴同然の権力者集団なのです。
彼らを支持しているのは、マスコミに操られている有権者である国民です。
これに対し、多くの国民は一致団結し、あらゆる手段を講じて、自民党政権から脱却しなければならないと思います。

2025/07/01 石川栄一
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1953年 白黒テレビの登場
我が家のテレビは東芝製 |
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真空管式テレビで一番故障しやすい
のは、水平発振/出力回路 |
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クイズ番組「私の秘密」
NHK 1955年-1967年 |
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クイズ番組「ジャスチャー」
NHK 1953年-1968年 |
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コメディ番組「お笑い3人組」
NHK 1956年-1960年 |
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チャンバラ遊び
1957年頃 札幌市北4西20 |
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家族(私中央、後ろ)
1957年頃(自宅)札幌市北4西20 |
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私 遠足へ
1957年頃(自宅前)札幌市北4西20 |
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紙芝居の風景 |
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定山渓温泉
兄弟と親戚と私(右端手前) |
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東宝公楽劇場
ゴジラ等の怪獣映画を鑑賞 |
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傷痍軍人の募金活動
1950年代 狸小路や三越前など |
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自宅前の風景
札幌市北4西20(市電 西高校前) |
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遊戯 小学校の運動会
私(中央、後ろ向き) |
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小学校の運動会 二人三脚
小学3年生頃 |
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藻岩山登山
小学4年生頃 |
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よく遊んだお寺の境内
札幌市北5西20 |
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小学校の炊事遠足
小学6年生の頃 |
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初夏の爽やかな風が心地いい季節となりました。
札幌では先月までは肌寒い日が続いておりましたが、6月に入ってから最高気温が20度以上の日も多くなりました。
早いもので、今年ももう半年が過ぎ去ろうとしております。皆様は、いかがお過ごしでしょうか。私はもうすぐ喜寿を迎えます。歳のせいか、月日の移り変わりが早いように感じられます。
喜寿とは、「喜」を草書体で書くと「㐂」。分解すると「七・十・七」に読めることが喜寿の由来のようです。
私としましては体中あちらこちらガタがきているので、全く喜ばしい事ではないのですが、家族の生活のために頑張って生きています。
白黒写真をカラー化 |
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小学校時代 藻岩山ハイキング(昭和33年夏)
札幌平和塔(仏舎利塔)の広場 |
先月(5/15)、小学校時代のクラス会があったのですが、今年、喜寿(77歳)を迎える割には、皆元気で和気藹々としたひとときを過ごしました。
担任の女性先生は93歳でしかも川崎市の介護施設に入居されているため出席は無理でした。電話では担任の先生ご本人は、私達教え子に会いたがっていましたが、身体が言うことを聞かなかったように思います。
クラス会当日、同級生の中には、数度にわたり「癌」の手術や治療を受け快気、また「頭蓋骨骨折」や「動脈剥離」にも打ち勝つという不死身の方々もおり、持病の心臓病を患っている私も元気づけられました。北海道大学に在職時、同僚では癌で亡くなった方々が多く、また子供の頃の輸血が原因でC型肝炎を患い肝硬変で亡くなった方もおります。
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KKR北海道医療センター |
次は自分の番かも知れないと覚悟しつつ心臓病と闘い続けているのです。しかし、掛かりつけの医院や札幌孝仁会記念病院(旧大野病院)そして北海道医療センターでは「心筋中隔梗塞」と診断をされましたが、勤医協札幌西区病院では心臓には異常はなく、息切れは「運動不足」と診断され、何が正しい診断なのか、わけが分からなくなっております。 医師の診断、信じる者は救われない。
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自宅庭の小さな池 睡蓮は造花です。 |
私の今の楽しみは、ガーデニングとペットの金魚(金ちゃん)のお世話、そして、太陽光発電による節電です。
ガーデニング用の苗や種は近くのDIYショップ、ホーマックで買ってきますが、北区に住んでいた家から移植したレンゲツツジや親戚の家から頂いたドウダンツツジもあります。
しかし北区は畑地であり、現在住んでいるところは山の土なので相性があまり良くありません。更に東急不動産が宅地造成するために入れた火山灰なども多少混ざっているせいか、親戚の叔父から不毛の地と言われた事もありますので黒土を大量(10トン)に入れております。
その甲斐もあり現在は、あらゆる木々が伸びすぎるほど伸びて、特に30㎝くらいの赤松の苗木が数年で8メートル以上にもなりました。そのため松の木の枝が電線に触れて危険であるので、北電の職員がやって来て黒い筒のカバーを被せていったり、勝手に枝を伐採して行く事もありました。
これでは北電に申し訳ないので、現在は私が枝を伐採しております。しかし8mもの長いハシゴの天辺まで上ると結構ビビります。昨年はハシゴの下段から落ちそうになり、向かいのお寺にお参りにきていたおばさんに助けられた事もあります。
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ペットの金ちゃん(約10歳)可愛いでしょう
大きさは25㎝くらい |
最近、札幌には金魚店が少なくなりました。
ネットで『金魚店 札幌市西区』で検索しても、数店しかありません。中には「居酒屋 琴似のきんぎょ」とか「発寒かねしげ鮮魚店」などの居酒屋や魚屋もありました。
一昔前(50~60年前)には熱帯魚ブームがあり、私も一時期ハマったことがあります。最もポピュラーな魚としてグッピーやネオンテトラ、エンゼルフィッシュ、パールグラミー、高級魚になると熱帯魚の王様デスカスやアロワナ、怖い魚ではピラニアなど、超高価なアロワナ以外、色々な熱帯魚を飼いました。
どんなペットでもそうですが飼育するには結構、手間暇が掛かります。熱帯魚の場合、水槽と照明器具、小砂利、温度管理用サーモスタットとヒーター、温度計、酸素用ポンプ、濾過フィルター、水草、カルキ抜き、水槽掃除道具など、そして一番重要なのは餌です。
人間や動物と同様、すくすくと丈夫に元気に育てるには、餌の選定が一番難しいかも知れません。
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熱帯魚
(写真)ペットとの共生推進協議会 |
その熱帯魚ですが、結婚してから金魚に変更しました。それはお金がかかるからです。変更しても、熱帯魚用の器具類はそのまま金魚用に転用できます。熱帯魚との飼育方法で多少異なるのは温度管理と餌くらいでしょう。
熱帯魚の場合の水槽の適正水温は25~26度。金魚の快適な水温は、15度~28度くらいと広い温度レンジがなので飼いやすいのです。
その金魚ですが、熱帯魚ブームの時には、西区にも熱帯魚と金魚両方を扱っているお店も多かったです。また金魚店も結構ありましたので飼うことも簡単でした。しかしどういうわけか病気持ちの金魚もいて、同じ水槽では一匹病気にかかると、当然全部に移って死んでしまいます。
こんなことを繰り返すと金魚を飼うことが空しくなります。そのため20年以上も水槽を空にして放っておく事になりました。
そして10年前から金魚を飼う事にしました。
金魚は、中央区南14条の「アクアフレンド北水」という熱帯魚/金魚店で、一匹100円の和金(お祭りの金魚すくいでよく見る金魚の幼魚)を10匹飼ってきて、早速、準備してあった水槽に放しました。
まだ小さいので、広々とした水槽は居心地が良いようでしたが、大きく育つと共に、当然ながら人(魚)口密度は同じでも、だんだんと狭苦しくなっていきました。
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生き残ったペットの金ちゃん
「和金」だったはずが高級金魚「ランチュウ」のように変身 |
また、金魚の中にも弱者と強者があるようで、最初は同じくらいの大きさだった金魚でしたが、数ヶ月後には大きな金魚と小さな金魚に分かれ、更に強い金魚に邪魔されて餌がなかなか食べられず、栄養が足りない金魚は一匹、二匹と死んで行き、5年後には半数の五匹になりました。まるで人間社会を見ているように思います。金魚の世界にも生活保護があれば良いですね。
そして強い金魚が生き残り、8年後にはまた病気や寿命で四匹が亡くなり、そして買ってから10年経った現在、写真の金ちゃんだけが生き残っています。
金魚が他界する度に、自宅の庭に穴を掘ってお墓を作るのですが、翌日になると、もうキツネかノラ猫かが掘り起こして、墓穴の中はもぬけの殻になっているのです。それも埋めた場所が正確で、しかも綺麗に掘っているところを見ると、鼻の良い四つ足の動物と思います。
金魚だけではありません。ヤモリが庭の小さな池の中で溺れて水死した場合にも、明日、どこかに埋めてやろうと思い、池のそばに寝かせて置いていたら、翌朝、もうヤモリの亡骸が無いのです。
食べていくのが大変なのは、人間の世界も動物の世界も同じなんですね。最近話題になっている子連れの母熊の気持ちが分かります。

今まで太陽光発電の報告を数回述べてきましたが、やはり蓄電容量が弱かったせいか、曇天時や夜間には給電がストップする状態になってしまいました。
そこで、今年はこの蓄電容量を強化するために、リチウムイオンバッテリーLEV50-8S 24V を2台。リン酸鉄リチウムイオン バッテリー 1280Wh
12V LiFeP04(100AH)を4台、そしてELIIY POWER/エリーパワーPPS-30(SI)を導入したので、ある程度は給電ストップの状態を回避できるものと期待しております。
予算的には25万円程度に収めました。これで月1万円は節約できるとして、計算上、2年くらいで元が取れるものと期待しています。
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私設ソーラーパネル(母屋と車庫の上) |
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私設ソーラーパネル(屋根の上) |
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アマゾンで82万円で販売している商品が
ヤフオクで2019年製が5万5千円で購入できました。 |
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自家発電で「脱北(脱北海道電力)」を目標にしています。
一般的な家庭の電気代平均額は13,157円(3人世帯の場合)だそうですが、我が家では軽く毎月20,000円を越えてしまいます。それは、火災防止のため市ガスを使わず、炊事や湯沸かしは全てIHヒーターや電子レンジなどの電気器具を使用しているのが主な原因と思います。
3人世帯のガス代の平均額は5,555円。そこで3人世帯の電気代の平均額とガス代の平均額を加えると、18,712円になります。
それでも我が家の電気代が高いのは、オーディオ機器やビジュアル機器そして各種測定器などの電気器具が多すぎるからでしょう。
北海道電力では、電力メーターの出力側は、利用者がどのようにでも扱えるとのことですので、私は10ヶ年計画で「脱北(脱北海道電力)」を実現するために、自家発電に取り組んできました。
ところが想定外だったのが、ソーラー発電用バッテリー(ディープサイクルバッテリー)として太陽光発電の記事でも取り上げられ勧めていたAC DELCO M31MFが意外と弱かった事です。
その結果、このバッテリーを数台パーにしました。注意書きをよく見ると、”ソーラー発電には使用しないでください”と書いてありました。評論家の記事など当てにならないですね。信じる者は救われない。
また当初高価だったソーラーパネルなどのパーツの価格が年々下降傾向でしたので18枚購入。ちなみに購入したソーラーパネル(190W)は1枚12,500円でした。現在の総発電能力は、最大で3.6KW/hになっています。
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私設ソーラーパネル(自宅南西側) |
前回の近況報告からあっという間に半年が過ぎ去ろうとしております。この間は、小学校時代のクラス会の準備に費やした時間が長く、現在、連絡先が分かる同級生は私を含めても僅か15人になってしまいました。それでも今回はその過半数の8人が出席されました。欠席者のうち2名は道外、4人は女性でした。
私の妻もそうですが、女性が高齢になると、クラス会や同窓会には欠席する場合が多いそうです。理由は色々でしょう。妻の場合は老いた姿を同級生に見られたくないと言います。気持ちは分かりますが、人間は皆、老いるわけですから気にしても仕方がないでしょう。
長い近況報告になりましたが、誤字・脱字、そして悪文にも関わらず、ご高覧いただきありがとうございました。
末筆ながら、一層のご隆盛を衷心よりお祈り申し上げます。
2024/06/16 石川栄一
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自宅正面(2012年11月) |
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自宅南東側 |
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自宅南西側 |
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自宅東南側 |
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配電盤(表) |
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配電盤(内部) |
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商用電源自動切換機 |
『動作の概要』
ソーラーパネルにより発電され、インバーターを通して供給される交流100Vは、コントローラーの保護回路が作動したり、バッテリーから供給される電力が低下した場合、インバーターの交流出力電圧が遮断されてしまいます。
商用電源自動切換機は、インバーターからの電源供給が停止すると自動的に商用電源に切り替わり、また、インバーターからの供給が可能になると、自動的に自家発電の供給に戻す働きをする装置です。 |
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MPPTチャージコントローラー1 |
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MPPTチャージコントローラー2 |
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DC-ACインバーター1 |
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DC-ACインバーター2 |
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当時のネット価格12,500円(1枚) |
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2024/5/15 右端が私(幹事) |
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1965年夏(昭和40年) 茨戸公園 |
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母校「日新小学校 1960年頃」 |
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寒中お見舞い申し上げます。
皆様におかれましては変わりなくお過ごしのことと、心よりお喜び申し上げます。おかげさまで我が家では、家族一同、元気に暮らしております。
今年も変わらぬお付きあいのほど、どうぞよろしくお願いします。
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2024年正月の自宅前 |
築47年の家に住んでいますと、人間と同様にあちらこちらに、がたがくるものです。昭和50年代は高度成長期真っ只中で、マイホーム新築ブームでした。
我が家でも家族でボーリング場(テイセンボール)の隣にあったマイホームセンターに何回も通って夢を膨らませたものでした。
そして昭和52年(1977年)初夏、札幌市西区に念願の新居完成。
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新築当時は青のコロニアルと三角屋根の家
「鉄心住宅で有名な丸高ハウスが建築」 |
一階は父母の居室。二階は息子(私)夫婦と子供の居室。カーポートの上は応接室と座敷(客間)。その後、カーポートは父の介護室に改築。父母が他界した現在、応接室は私の隠居部屋。父の介護室は娘の部屋になりました。
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連日の大雪、私の町内はいたるところに雪山 |
昨年の暮れまでの積雪は、例年の半分程度しかなく、雪が少なかったのですが、今年に入ってから連日大雪に見舞われています。
除雪はポンコツの除雪機二台で行っています。無いよりもマシ程度ですが、それが結構役に立っています。昨年、ホンダの小型除雪機の調子が悪く、まともに動くかどうか半ば諦めていたのですが、奇跡的にエンジンがかかり調子よく動きました。バッテリーはへたっていたので、交換したところ更に調子があがったように思います。
もう一台のスズキの除雪機は毎年、オーガ(雪をかき集める部分)が回転するまで手間が掛かりますが、騙しだまし使っています。オーガベルトを交換すれば何とかなるかも知れませんが、専門業者に頼めば修理代が数万円かかりますので、暇を見て自分で交換しようと考えています。
大雪で困るのは、室蘭育ちの妻が雪が苦手だと言うことです。室蘭では雪がほとんど積もらないらしく、雪が降っても箒(ほうき)で掃く程度だそうです。今年で結婚50年になり、妻はもうすでに「札幌人」になっていると思うのですが、雪には慣れないようです。
私が子供の頃(昭和20年代)は、近所には子供も多く、雪がたくさん積もると「跡つき」という遊びも流行りました。冬のアスレチックのようなもので、それは、先頭の者が歩いたところを同じように歩くのです。
先頭者は小川を飛び越えたり、木に登ったり、屋根から飛び降りたりしますので、その後に行く者は、同じ歩き方や飛び方ができなければ後尾につかなければなりません。当然、先頭者が転んだら、後尾につかなければなりません。この遊びは、身体の大きな年長者が何かと有利でした。
初雪が降ると、よくスキーやソリで遊んだものです。僅か数センチの積雪では、スキーの跡が融けて地面が出てくるのですが、そんなことは構わず、ただ、ひたすらスキーを楽しみました。
当時のスキー場としては、荒井山や南斜面(旭山公園と円山の中間「当時」)がありましたが、リフトなどの設備はありません。現在、小中学校のスキー遠足ではバスを使いますが、私が子供の頃は1時間以上もかけて、スキー場まで歩いて行きました。まさに雪中行軍のようでした。
またワックスは経費節約のため、仏壇用のローソクを代用し、スキー遠足の前日に石炭ストーブの上でローソクを空き缶に入れて溶かし、刷毛でスキーに塗ることもありました。
スキー場では木の枝にリュックサックを引っかけておくので、昼食用に母親が握ってくれた「おにぎり」が凍って、カチンカチンになっていたのを思い出します。スキー用具は買い揃えることが出来なくても、親戚や知人のお下がりを利用したものでした。
また、自宅から歩いて20分くらいで行けるスキーができる場所もありました。そこは、北海道知事公館の敷地で、当時の知事公館の塀は、あちらこちらが壊れて穴だらけだったため、どこからでも入れたのです。塀の隙間から入って知事公館の中庭の坂でスキーをして遊んだものでした。
塀が壊れていたのは知事公館だけではなく、北大植物園もそうでした。
ある夏の日に、十数名の子供同士で植物園の塀の穴から入り、正門から出ようとしたそのとき、管理人から入場券を見せるように言われたのでビクッとしました。
植物園がまさか有料であったとは知らず、あっけにとられ、皆が困っているとき、年長者が「あ、カラスだ!」と叫んで空を指さしたとき、管理人がつられて空を見た瞬間、「みんな逃げろ!」という号令で皆逃げ出したので、私も一歩遅れて逃げたという何となく後味が悪い思い出があります。
白黒写真をカラー化 |
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75年前、2才の頃の私。ソリ遊び(やはり寒そうです) |

小学校時代のクラス会を計画するため、恩師の今の状況を問い合わせたところ、現在入居している川崎市のある施設から転居していることが分かりました。恩師は昭和6年生まれでご高齢のため、クラス会への出席は難しいと思いますが、親族が札幌に多く暮らしているのでいつも「札幌に帰りたい」という希望を述べています。
そこで私の自宅の近所に住む同級生と、クラス会をどうしようか検討はしているのですが、なかなか結論は出ないままになっています。
白黒写真をカラー化 |
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小学5年生の頃の集合写真 1957年(左端 担任、右端 校長)
最上段、右から3人目が私 |
集合写真は白黒ですが、カラー化のため色づけしていますと、この中には既に亡くなっている同級生が数名いるので、何となく「死化粧」してあげているように感じるのです。
人間の命は僅か八十数年、そうした中で、いたるとこで戦争やテロで多くの尊い人命が失われ、いま日本では自民党政治家の汚職(政治資金規正法違反)が野放しにされるような事態です。
しかし国民が選んだ政治家ですが、私には最初から結果が見えていました。
自民党の汚職政治家はトカゲのしっぽ切りに成功し無罪放免。有権者はいつも馬鹿を見るばかりです。
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テレビは洗脳装置。嘘でも放送しちゃえばそれが真実。
(1998年 TBS副社長時代)
社会を支配しているのはテレビ。これからは私が日本を支配
するわけです。(2002年 社長就任時)
日本人はバカばかりだから我々テレビ人が指導監督してやっ
とるんです。(2003年)
君たち(TBS新入社員)は選ばれた人間だ。 君たちは報道に
よって世の中を動かす側の人間。対して一般国民は我々の情
報によって動かされる人間だ。
日本は選ばれた人間である我々によって白にも黒にもなる。 |

(学者先生方 上から7人目) |
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土屋敏男氏
(元日本テレビ) |
見ている人のことを、かなりモノがわからない人だと想定して、その人たちにどう見せるかと工夫しているんです。もう”馬鹿にどう見せるか”、どこかの所ではみんながそう思っているようなフシがありますね。 |
大橋巨泉氏 |
勝ち組とか金持ちとかインテリが、テレビを見なくなっただけなんですよ 。 負け組、貧乏人、それから”程度の低い人が見ている”んです。テレビは今に貧困層の王様になるはずです。 |
池田信夫氏
(元NHK) |
私がNHKに勤務していたころ教わったのは、典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思えということだった。 ”1億人の知的水準の平均値は、当ブログの読者には想像もできないぐらい低い”のだ。 |
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私はマスコミとカメ虫が大嫌いです。
有権者を馬鹿にしているのは、連日のように「世論操作」を行っているマスコミです。当然と言えば当然かも知れませんが、マスコミのパトロンは大企業や富裕層などの一部の特権階級(上級国民)ですから、マスコミは彼らが支持している自民党を守らなければなりません。
マスコミは中立を装い、国民の側に立っているようなそぶりを見せながら、自民党政権を維持するために躍起になっているのです。
現体制が倒れたらマスコミは潰れるでしょうが、金儲けのための商業マスコミは国民の敵と言わざるを得ません。
テレビ局も、大地震が起きようと、航空機事故が起き尊い命が失われても、バカ騒ぎのバラエティ番組を大量生産!最低の下の下。よくまあ、このようなつまらない番組を考えつくものだとつくづく感心します。
戦時中、大本営発表のNHKやフジ・サンケイ・読売などの御用マスコミは、反中、反露、反北、反共プロパガンダと自民党政権の広報部隊!。
お金のかからない連続再放送、再々放送、再々再放送にコマーシャルばかり。愚民化を推進するテレビ局も日本から消えて欲しいといつも思っています。
国民の皆さんも、テレビの馬鹿番組ばかり見ないで、無能な遣唐使(検討氏)=岸田政権や自民党の汚職政治家によるトカゲのしっぽ切りなどについて、もっと怒らなければならないと思いますが、多くの国民は、歴代自民党政権による御用マスコミを利用した「国民総白痴化政策」により、怒る気力も無くなっているように思います。
それでは、いつになったら政治が変わるのかは、あと100年は無理でしょう。いや永久に無理かも知れません。それは明治以来150年以上、大きな戦争があり日本本土が瓦礫の山になっても、1000年前のお歯黒の公家政治と同様、君主制の官僚統制による資本主義体制は変わっていないからです。
おそらく地殻変動が起き、日本列島が大陸とつながるか、海に沈下するまでは政治体制には大きな変動はないでしょう。
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写真「トムラウシ山~高原温泉縦走」 主催:北工会秀岳会 |

昨年末から、秀岳会山行動画のリニューアルをしております。
映像、音声はすべて当時のものです。フイルムの劣化による変色、フォーカスの甘さ、また音声に他の映像のクロストークや映像と音声の同期がずれている箇所がありますが、ご容赦ください。
では、今日はここまでにしたいと思います。
2024/01/14 石川栄一
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みなさんこんにちは。
七夕の候、日を追うごとに夏らしくなるこの季節、いかがお過ごしでしょうか。私、今年の3月にかかりつけの医師から「心筋梗塞(中隔梗塞)」の診断をされましたが、今のところ体調に大きな変化はありません。多少、不整脈と息苦しさを感じる程度です。おそらく処方された心臓と血圧のクスリが効いているのでしょう。
昨年の10月、同窓生の三回忌に出席のため青森県の黒石市に行ったときは、相当に息苦しさがありましたが、今はそれほどではありません。
何せ、フェリーターミナルからフェリーの客室に向かう通路で、50m歩く毎に一休みしなければなりませんでしたが、現在は、庭木に登って枝の伐採もできるようになりました。
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自宅門回りとサツキ |

この歳(後期高齢者)になると、いつ死んでも当然と思います。まあ、悔いは残りますが、仕方がないと諦めるしかないでしょう。
昔、50年以上前の話ですが、当時問題になった「不幸の手紙」という郵便物が自宅に届いたことがあります。それにはこう書かれてありました。
『この手紙は不幸の手紙です。届いてから3日以内に、これと同じ文章の手紙を5人に出さなければ、あなたは5年以内に死にます』
もちろん、差出人の住所や氏名は書かれておりません。気の弱い人間が他の人物から届いた「不幸の手紙」の内容に従って回しているのでしょう。
それにしても、まだインターネットが普及していない時代、私の住所氏名を知っているのは、親戚や同僚そして同窓生など顔見知りばかりです。いま、それを考えると少しガッカリします。
腹が立ったので「不幸の手紙」は即座に破り捨てました。既に50年以上も経過しているのですが、私はまだ生きてます。
まあ脅迫状のようなもので、私は何人目になるのか分かりません。また伝聞のようなものですから、途中で文章が崩れてきていると思うので、原文の内容を知りたかったですね。
この「不幸の手紙」騒動で幸福になったのは、当時の郵政省だけかも知れませんね。何せ、郵便物のねずみ講のようなものですから。
「不幸の手紙」とは関係はありませんが、身内の不幸は続きます。
今年5月には私の従妹がガンで亡くなりました。

ふつう「戦争で死んだ」とか「交通事故で死んだ」などといっていますが、ほんとうは「死ぬ」ということと、「殺される」ということとは違います。
この二つのことは、きちんと区別して考えられなければいけないと思います。
戦争で死んだことも、交通事故で死んだことも、じつは殺されたことであり、また、殺されることでは、年が若くて、病気で死んでゆくばあいも、多くは病源菌やガン細胞によって無理やりに殺されたことになります。
事故でもなく、病気でもなく、年をとって枯れるように自然に死んでゆく、その自然死こそ、ほんとうに死んだということと思います。
『人間の寿命の限界は150歳』
米国・シンガポールの最新共同研究によりますと、人間の寿命の限界は150歳までだそうです。研究によりますと、人間の寿命は2つの要素と関係があるといいます。その1つは生物学上の年齢、もう一つは回復力です。
ティモシー・ピルコフ博士によりますと「120歳から150歳に達すると、人間の回復力は完全に消失するため、寿命の限界はそこまでということになる。医療技術が進歩し、関連のバイオテクノロジーが発展するにつれて、人間の寿命はどんどん限界である150歳に近づいていくことになるだろう」との見方を示しています。
私たちが、死の恐怖におびえ、生と死の問題を、問題にせずにいられないのには原因があります。最大の原因は、自分がいつ殺されるかわからない世の中に生きていることにあります。
そのような国民の不安をデマで煽って改憲に誘導する自民党政権のやり口は許せません。例えば、自民党製作の改憲マンガは、ウソで国民の不安を煽ります。「あした、敵国が攻めてきたらどうするんだあぁぁ!?」と。
攻めてくるどうのこうの言う前に、攻めてこないように外交力で平和交渉すべきです。もし攻めてくるようなことがあれば、現在のウクライナ同様、日本は廃墟と化し、石器時代に逆戻りします。
そもそも、日本のような何の資源もない、福島第一原発の放射能と汚染水に塗れた少子高齢化の国を侵略しても何のメリットもなく、侵略者は膨大な数の老人介護などで不利益を被ることになります。
日本側としても、54基のポンコツ原発の一基でもミサイルで破壊されたらもうお手上げです。福島第一原発でさえ廃炉化するのにあと30年以上かかるというのに、さらに他の原発が攻撃されたら、防衛だとか言う前に日本はお仕舞です。
しかも「食料」も「鉄」も「油」も自給できない国が戦争など出来るわけがないのです。今からでも遅くはないので、中国や北朝鮮そしてロシアなど、お隣さんと、もっと平和的に話し合いましょう。

人間はなによりも生命の不安をいちばん鋭敏に感じます。自分がそれを感じていると意識しなくても、その意識以前の状態で反射的にそれを感じます。
いいかえれば、からだでそれを感じます。「からだで感じたこと」が意識を襲って、死の恐怖という観念をつくりだします。
前述しましたように、生命の不安を感じさせるものとして、第一に戦争があり、これが一番大きい恐怖の原因になります。自分が直接戦争を経験しなくても、ロシア・ウクライナ戦争のように、インターネットやテレビなどでその状況を見ただけでも、それは死の恐怖の原因となりまず。
また現在も日本各地で起きている災害や事故、そして失業、生活苦、全て体で生命の不安を感じさせる事情になっています。
このような死を恐怖する感情は、いつ、どこで、自分の意識を襲うか分かりません。わけもなく心を襲います。それは、意識以前に、このからだが、反射的、あるいは本能として生命が危険を感じているからです。
野原や森にいる小さな昆虫でさえ、捕らえようとすると、一目散に逃げていきます。昆虫さえ、生きていることを楽しみ、そして生命の危険を体で感じて逃げるのです。
私たちは、この死の恐怖から、どのようにしたら逃れられるのでしょうか。
ある人は神や仏にすがり、生命を神仏にまかせようとします。自分の命の行方は神のみぞ知るということになり、自分の生死が他人ごとになってきます。
またある人は、生命を脅かす一切の危険を現実にこの世界からなくし、戦争がもう二度とおこらないようにするように、デモや集会を開き政府と闘います。更に、同時に選挙で、失業や災害対策も、事故もなくすことのできる、そういう政治をつくりだすために闘います。
また感染症や癌などの病気についても、科学や医学を発達させ、充分に予防措置ができるような世のなかをつくることであります。こうして、私たちの心の中にある死の恐怖はなくなってゆきます。
ところが人々の中には、死の恐怖を取り取り除こうとする努力をせずに、ただいつまでも死を恐怖しているだけの感情があります。これが、いつまでも続いた場合には一種の病的なものとなります。
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「兵馬俑」 The First Emperor of China
兵馬俑は秦の始皇帝陵の一部として1987年、世界文化遺産に登録された。 |

殺されることが、まったく、なくなったしても、人間には避けられない自然死ということがあります。仏教では、「生者必滅」(生きているものは、必ず死ぬ)といっています そうして仏教は、生きることと、死ぬことの、この二つのことをならべて、この二つの重さを等しいと見ています。
仏教では、生まれることをプラス5とし、死ぬことはマイナス5として、プラスマイナスして、人生をゼロと見ています。「死とは人生をゼロにする」というのです。
しかし、下等な生体である「細菌」のなかには 自己分裂をして繁殖してゆくものがあります。一つが分裂して二つになり、その二つが四つになる、そういうように繁殖してゆくのです。もしこの細菌が殺されることがないとしたら、この細菌は無限に繁殖していき、プラスマイナス=ゼロにはなりません。
生物は、よく発達したいわゆる高等なものになるほど、生と死がはっきり分れています。下等なものほど、自己分裂をしたりして、生と死がはっきりしていないのです。下等なものの繁殖がすなわち死です。
しかし死とはなんであるかという死の本質は、下等な生物に、最も単鈍なかたちであらわれています。生物にとって、死とは、すなわち、繁殖であり、より発達した生をつくりだすことであります。死は生の否定のように考えられていますが、もともとは死は、より大きい生の肯定であります。一粒の麦は、みずから死んでゆくことによって、何百粒の麦をつくりだしてゆきます。
根本的にいいますと、生物は生きているから死ぬのではなく、自分より以上の生をつくりだすために死があります。死は生の否定ではなく、より大なる生の肯定です。
細菌のような下等な生物は、親が子どもを育て守ることがありません。
そのために繁殖はしても、その成長は不確実となります。
哺乳動物のようなものになりますと、親が子どもを育て、守ります。そうすることによって、その繁殖は確実となります。子供が成長すると、やがて親が死んでゆきます。生は孤立しては成りたちません。
連続した流れのなかに、自分の生は成りたっています。

人間生活のすべては、やがて人間が死んでゆくところに成りたっています。永遠の生とは、「路傍の石」ころとおなじだということであって、それは生きていないということであります。
自然死をおそろしい絶望として感ずるわけは、死そのものからではなく、いまのこの生、この生活から、その恐怖がにじみだしてくるのです。
死の恐怖を解決するのは、人間と人間との心からの愛情であります。
社会が、個人主義者、あるいは利己主義者でいっぱいになり、自分のことばかり考えているような人ばかりになったときは、人の心は恐怖でいっぱいになります。
夢や希望、生きがいのない生活は、生きていても仕方がない生活なのに、さらに、死を恐怖する生活なのです。その問題は、死そのものにはありません。生の側にあります。
死は、無意識であり、無肉体であり、死んだところには、もはや自分はそこに存在しておりません。しかし、人間は、死ぬものであるがゆえに、種族として永遠に生きつづけるものなのです。
2023年6月18日、タイタニック号の残骸の観覧を目的とするオーシャンゲート社の潜水艇タイタン号(乗員・乗客5人)との連絡が途絶え、カナダ、アメリカ合衆国、フランスなどの合同によって「前例のない」と評されるほどの大規模な捜索が行われたましたが、カナダのニューファンドランド島沖合から南東740キロメートルの北大西洋上で潜水中に圧潰・沈没したもようです。
映画「タイタニック」の監督で、自身もタイタニック号の沈没現場を33回訪れた経験があるジェームズ・キャメロンは、耐圧殻に用いられた炭素繊維強化プラスチックには水圧に耐える圧縮強度がないこと、船体の安全性をリアルタイムで監視するモニタリングシステムは瞬間的な圧壊の対策としては役に立たないことを指摘し、安全性の軽視によって事故を招いたタイタニック号とタイタン号の類似性に衝撃を受けたと述べた。
(ウィキペディアより) |
先日、久しぶりにレーザーディスクで、映画「タイタニック」を観たのですが、それほど感動はしなかったですね。かつては何回も涙しながらこの映画を観た若い女性がいたようですが、この映画の感動は女性でなければ分からないのかも知れません。
ポスターにもある有名なレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが船首で羽ばたくようなシーンは、東宝映画(1974年公開)「ノストラダムスの大予言」にも似たようなシーンがあります。
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「ノストラダムスの大予言」より。東宝(1974年公開) |
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「タイタニック」より。パラマウント・20世紀フィックス(1997年公開) |
「あらすじ」 早い話が、老婆の回想から物語が始まり、主役のレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが恋をする。彼女は既に大金持ちと婚約中であるが結婚はしたくないと思っていた。やがて、タイタニックが氷山に激突して浸水、それから1時間で沈没してしまう。二人は冷たい海に投げ出される。ケイト・ウィンスレットは助かり、レオナルド・ディカプリオは冷たい海中に消えてゆく。そして老婆の回想が終わる。
さすが、セットの規模の大きさや特撮技術の完璧さには圧倒されましたね。そして高度なコンピュータグラフィックスもこの映画に緊迫感を持たせております。
やはり、この映画は、映画館の大画面で観るに限ります。私のシステムは、投写型の液晶プロジェクターを使っておりますが、70インチ程度の画面のため、まだ小さいですね。できれば100インチ以上の画面で観てみたいです。
それよりも、問題は東宝映画「ノストラダムスの大予言」が現在もまだ封印されていることです。この映画は現在の世界そのもののようです。
戦争、大気汚染や放射能汚染。人類は生活向上のために地球環境を破壊しています。しかし、地球が破壊される前に人類が破壊されるでしょう。
映画「ノストラダムスの大予言」と同様に、至る所で暴動や自殺が発生し、映画では総理が孤立します。
東宝ビデオ社は封印の理由として、電話で私に「反核団体の苦情で再上映禁止」と回答しましたが、さて真相は。
では、今日はここまでにしたいと思います。
2023/07/05 石川栄一
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自宅正面と私設掲示板 |
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自宅門回りとサツキ |
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玄関通路 |
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玄関正面と玄関通路 |
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ベコニア |
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池と噴水 |
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梅の木 |
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桜の木 |
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蓮華つつじ |
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庭 |
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ゼラニウム |
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ペチェニア |
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マリーゴールド |
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キンセンカ |
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ビオラ |
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ベコニア |
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デイジー |
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さつき |
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東屋と噴水 |
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つつじ |
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ナデシコ |
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クンシラン |
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応接室 |
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シェイクスピアのヘンリー4世が言うとおり、王冠を戴く者は、安穏と頭を横たえることができないとは。したがって、こうした支配者に、この無情な消滅の自覚が及ぼす最大の影響が見て取れる。
長城の内側で、始皇帝は前代未聞の改革を行なって経済を発展させた。
度量衡(長さ・容積・重さの基準)と通貨が統一され、漢字書体が一本化され、行政と統治が合理化された。
相争う諸国から、単一の国家が創設された。この国は、始皇帝の祖国である秦(chin =チンと発音)王国にちなんで、今もなお広く中国(China
=チャイナ)として知られている。
紀元前213年に始皇帝は悪名高い命を発し、自分の新体制とは相容れぬ学派の書物はすべて焼かせた。過去の年代記は破棄され、歴史は一から始まることになった。
延命の役に立つと思われる文書、すなわち、農業や占いや医学に関するものだけが難を逃れた。残りはみな禁書とされ、その所有は極刑に相当する罪と見なされた。
始皇帝は、秩序ある政治とよく統制された経済が実現可能だと信じていたのとちょうど同じように、不老不死の霊薬(エリクサー)を手に入れることも可能だと信じていた。そこで皇帝は、最高の医師や呪術師、錬金術師、賢者たちを身辺に置いた。
彼らの任務は、皇帝がありきたりの病気にかかったときに治すことだけではなく、加齢に伴う衰えを食い止め、その最終結果である死を寄せつけぬことでもあった。さらに自分の帝国全土を経巡り、霊験あらたかな山々で供犠を執り行ない、各地で出会った呪術師や学者に助言を求め、彼らが処方した水薬や丸薬、霊薬とされるものを熱心に服用した。
スティーヴン・ケイヴ(哲学博士)著
『始皇帝でも失敗した「不死探求」は、「科学×庶民」で実現するか』より
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