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カメムシは秋頃になると家の中に入ってきて異臭を発散させます。現在でも解決ぜず悩みの種になっています。 |
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一人も殺さず、殺されずに、ロシア軍をウクライナから完全撤退させる方法を紹介します。 |
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私の誕生日は9月16日、明後日で満76歳になります。
これくらいの歳になりますと、老人を見れば、その人の子供の頃の姿を連想します。また子供を見れば、その子が老人になった姿を連想します。
私もまだまだ若いと思っているうちに、とうとう後期高齢者になり、もうすぐ80代の大台に乗ります。そのころ普通の生活ができれば幸せです。
しかし妻か私のどちらかが倒れてしまう可能性があります。
妻はいつも「病院や施設には絶対に入りたくない」と言っています。
まあ、気持ちは分かります。病院や施設は「社交辞令の塊」のような組織ですからね。患者や高齢者に「優しい言葉」で接してくれるのですが、これは全て「社交辞令」のようなものなんです。つまりビジネスなんです。こう思いながら病院や施設と付き合う方が良いでしょう。
早い話が、病院や施設の看護師やスタッフの社交辞令は、キャバレーやクラブやバーのホステスやキャバクラ嬢が使う「社交辞令」のようなもので、お客から好感を得る「言葉だけならタダ」ですから、お金のためなら、いくらでもうまい言葉を使います。指名されたら、さらにおいしい言葉を使います。こう言うと妻が「病院や施設には絶対に入りたくない」という気持ちは分かるような気がします。
兎に角(とにかく)これを「ウサギにツノ」と読んだ政治家いましたね。病院や施設には入らなくてすむように元気に暮らしましょう。そのためには健康に気をつけ、何事にもクヨクヨしないように心がけましょう。
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北朝鮮のゴジラ「プルガサリ」 |
それにしても、人の命は軽くなったものです。
昔「人の命は地球よりも重い」と述べた大臣がいましたが、現在は「人の命は空気よりも軽い」社会になりました。
戦争中のロシアやウクライナは当然ですが、それをマスコミがウクライナを支援するなどと戦争を囃し立て、武器の支援や売却をしようとする国家「死の商人」を援護しています。これでは戦争を煽っているのと同じで、正気の沙汰とは思えません。
さらにマスコミは戦争に反対する者を「力による一方的な現状変更を肯定している」などと吊し上げます。
過去から現在にかけて「力による一方的な現状変更」をしてきたのは、アメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの西側資本主義勢力です。
これらの西側資本主義勢力はいずれ、奈落の底につき落とされるに違いありません。これを宗教家の専門用語では「天罰」と言います。
おわり
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2023/9/13 石川栄一 |
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社交辞令(しゃこうじれい)とは、日常から行事、風習などといったあらゆる場面での人間付き合いにおいて、物事を円滑に進めるために発言することが望ましいとされている決まり文句(習慣的、形式的な言いまわし)の挨拶や、思ってもないのに相手を誉める言葉。これを行うことにより、発言者自身が嫌われないように守る態度であり、利益のために相手に対して不本意や偽りの態度をとっている場合がある。発言者が心から誉めている場合は、社交辞令ではなく本音である。
または、社会的交流の中で、相手を気遣ったり、自分が攻撃されないために使う嘘。おべっかや御世辞を言うこと、答えになっていないような遠回しな答え方、問題解決を後回しにするために何らかの口実を使うことなど。例として「今度一緒に行けたら行こうね」と言葉だけで、行動が伴わないことなどがある。「発言に責任感がない」「口先だけの偽善者」と周囲から思われたり、人間不信の原因となる場合もある。(ウイキペディア)
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今回は 「社交辞令」について述べているだけで、病院や施設の看護師やスタッフの方々を、キャバレーやクラブやバーのホステスやキャバクラ嬢と同じであると述べたわけではありません。つまり両者は「社交辞令=言葉だけの世界」であると思っております。この事は、社会には全く影響力の無い一般人である私個人の文章ですから、どうでも良いかも知れません。 |
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我が国は、高度成長期からバブル期にかけての1970年代から1980年代、日本は「一億総中流社会」とも言われて、管理職・専門職を含むホワイトカラーのサラリーマンが増大しつつありました。
現在は正社員やフルタイムで働いているにも関わらず、生活保護の水準以下しか収入が得られない「ワーキングプア」と呼ばれる層が増えております。「ワーキングプア」とは日本語では「働く貧困層」と呼ばれています。
しかし、私が子供の頃は働きたくても働けない、そもそも、ほとんどの企業が空襲や艦砲射撃で被害を受け消滅してしまった時代でもありました。
私くらいの年齢になると、どうも、その昔、昭和20年代、何かの縁があって想い出として残っている同年代の消息が気になるものであります。
私が、まだ3歳くらいの頃、母親とカルタなどをして遊んでいました。その時、玄関をガラガラと開けて、私くらいの子供を連れた母子が入ってきて「何か食べる物を下さいませんか」と言うのです。
いわゆる、物もらいなんですが、戦後の混乱期から数年経過しても、立ち直れないで乞食や物もらいをしながら生活をしている人々が多く、戦時中の傷跡が癒されていなかったのであります。
私の母親はその母子に、焼きおにぎりを作って与えておりました。物もらいの母子は、超貧乏をしていた私と母よりも良い衣服を着ていたのが何となく印象的でした。その時、私の母親はまだ22歳でした。
白黒写真をカラー化 |
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『家族写真(1958年頃)』手前 しゃがんでいるのが私11歳 |
私と同年代の子供の中には知的障害者の子供もいました。その頃は施設も充実されておらず、その子供がよく自宅の近くまで遊びに来るのですが、近所の子供達は、その障害者を相手にしませんでしたね。
ある日、私はその子供と水鉄砲で遊ぼうと思い、自宅の近くまで誘ったのですが、保護者がスクーターでやって来て連れて帰りました。その保護者、私に何か言いたそうでしたね。
その子供も健康であれば、私と同じくらいの歳になっていると思いますが、元気にしているかどうか。
おわり
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2023/9/11 石川栄一 |
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自民党は、当時の安倍首相が提案した「自衛隊の明記」と併せて、教育の無償化・充実強化、緊急事態対応、参議院の合区解消をあわせた4項目を中心に「初の憲法改正」を目指しました。しかし、改憲に意欲的な首相は、衆院解散を表明した記者会見で、改憲には一切ふれませんでした。
街頭演説でも、自ら招いた「国難」と位置づけた北朝鮮情勢への対応や、少子高齢化対策の重要性を主に訴えましたが、モリカケ問題と同様に、改憲については語らず逃避行を続けていました。
今は亡き安倍首相のこのような選挙活動は、自民党が圧勝した過去の衆参両院選挙でも同様でした。選挙前は「経済優先」を強調し、選挙で得た「数の力」で憲法改正などの政策を強引に進めてきたわけです。例えば「特定秘密保護法」、「安全保障関連法」、「共謀罪」法を成立させたのは、いずれもアベノミクスなどの経済政策を前面にたてた選挙の後でした。
これは「憲法改正」を選挙の争点にすると、自民党が大きく議席を減らすからに他なりません。逆の見方をすれば、多くの国民は「憲法改正を望んでいない」ということを、今は亡き安倍首相は意識していたのでしょう
昔、フランスで「朕は国家なり」と言った皇帝がいましたが、今は亡き安倍首相の場合も同様ででしょう。
SNS(Social Networking Service)では、「自民党に反対する者は日本から出て行け」などとわめく輩がいますが、日本を自民党の私物とでも思っているのでしょうか。
■「朕は国家なり」:私は国家そのものである。
ルイ14世の言葉で17世紀フランスの絶対主義を象徴する。
一方、今は亡き安倍首相は、日本国を私物化し、公金をアベ友にバラマキ、国有財産を極端に安く払い下げたモリカケなどやりたい放題。国会では『私は立法府の長』とほざきました。(注:立法府の長は形式的には議長であり、総理大臣は行政府の長である。)
『私は立法府の長』
この安倍の発言について「言い間違い」だと自民党側は主張したが、過去(2007年5月11日)にも同様の間違いをしており、行政(内閣)、立法(国会)、司法(裁判所)という『三権分立を理解していない』ことは明らかだ。
国民投票は投票率の過半数ですから、例えば投票率が50%でも、その過半数の賛成で憲法が改正されます。つまり投票率が50%の場合、全有権者の1/4(25%)以上の賛成で憲法が改正されることになります。

(1)表現の自由が制限される
「交益」や「公の秩序」に反しない場合は自由ですが、反すれば制限されたり処罰されるようです。しかし「交益」や「公の秩序」に反するか反しないかを誰が判断するのかは分かりません。実際は、自民党の太鼓持ちである田崎スシローら『御用ジャーナリスト』以外のジャーナリストは監視され、些細なことで逮捕される可能性もあります。歴代の自民党首相は、多額の血税を使って、御用ジャーナリストらを飲食接待しています。
これら御用ジャーナリストの政治記者や、政治記者上がりの政治評論家は「官房機密費」をシコタマ貰い、せっせと自民党政権の援護に精出す情報宣伝工作員です。彼らには思想も良心も、そして独立国日本の国民としての自覚も、何も持ち合わせてはいません。
彼らは、「時の総理と食事を共にして何が悪い」と居直るでしょうが、特定秘密保護法、集団的自衛権などに安倍を援護し、その結果、憲法が破壊され国民の声が軽視され、着々と戦争への道が開かれています。
田崎史郎とケント・ギルバートに自民党からカネが支払われていた! 政治資金収支報告書で発覚 LITERA 2017.12.04
(2)戦争ができる国へ変貌
現在の『平和主義(戦争の放棄)』をやめ、国防軍を創設します。
戦後、78年間、専守防衛を貫き、国民や外国人を一人も殺さなかった自衛隊が、国防軍と名を改め、海外に派遣され、日米軍事同盟の下で、米軍の支援部隊として、行動を共にして日本が戦争に巻き込まれる可能性が大となります。
そして、多数の外国人を殺すこともあるし、自衛隊・国防軍にも戦死者が出るでしょう。
そして、国防軍・自衛隊が米軍のために戦果をあげたら、NHKやフジテレビなどは戦場から実況中継を行い、日本国内では国をあげて「勝った勝ったの提灯行列」。国防軍・自衛隊が全滅しても「撤退」ではなく「転進」して更に進撃中などと大本営発表を行うでしょう。
第二次大戦中も、NHKは、軍部の大本営発表で「国民に勝っていることしか伝えなかった」のです。「撤退」を「転進」と言い換え(自民党政権と東電が「汚染水」を「処理水」と言い換えているのと同じ)、「全滅」を「玉砕」などと勇ましい言葉で報道し、最後は「敗戦」を「終戦」と締めくくりました。
そもそも「処理水」と表現するように強要されても、何の処理水なのか分かりません。正確には「放射性汚染水浄化処理水」と言うことでしょうか。
そしてNHKは今も、自民党政権の広報部隊として大活躍。更に、自衛隊「日報」疑惑と隠蔽体質は、旧皇軍からのお家芸。これからの自民党政権を守るための国防軍・自衛隊は、アメリカの代理戦争のために殺されることになります。
また国内では国防軍・自衛隊の「治安維持活動」として、デモ行進や大規模集会などに対し、国民の行動を制限することもできる強大な権限を持ちます。
(3)緊急事態宣言(ナチスと同様)
戦争や大規模な災害などの際、内閣総理大臣が『緊急事態宣言』をすると、内閣は国会で話合うことなく法律と同じ力を持つルールを定めることができ、国民はこれに従わなければなりません。
つまり、国会は不要になり、自民党政権の内閣総理大臣は、ルイ14世の如く「朕は国家なり」へと一躍、大出世となるわけです。
(4)社会保障制度の後退
「自民党の憲法に改正」では、「家族の扶養義務が強調」されて、生活の扶助の多くが家庭の負担とされる可能性があります。
それにより、医療費や介護費の重圧で家計が圧迫され、「家族は助け合わなくてはならない」はずの「家族が崩壊」することになりかねません。
さて、憲法改正の最大の目的としているのは、国防でしょうか。
そもそも、赤字国債と地方債を併せて千兆円以上もある国家が、はたして国の防衛など出来るのでしょうか。予算があるの?。まして、このような大赤字少子高齢化借金国家を侵略する物好きな外敵などどこにも存在しないでしょう。
侵略は、対象となるその国に価値があるからするのです。
我が国は資源のない大赤字借金大国であり、福島第一原発事故により放射能汚染され、汚染水を大量に流し続け、さらに日本を取り囲むように54基ものポンコツ原発が林立しております。
このような国を侵略してどのような利益があるのでしょうか。日本を侵略すると言うことは、梅毒に犯されている人間を犯すようなもので非常に危険です。
自民党政権の国防の目的は、国民を守るためではなく、富裕層による自民党政権維持のためであり、アメリカのポチになり、国連を無視して戦争を起こします。日本はアメリカの戦争に巻き込まれないように行動しなければなりません。
その為には、アメリカのポチである自民党政権を倒す必要があります。
巨匠オリバー・ストーン氏の言
「日本より軍事費が多いのは米国、英国、中国だけだ。
日本をそういうふうにした共犯者はアメリカにほかならない。日本は米国の武器の最大の得意客なだけでなく、アメリカの行なったクウェートやイラクでの戦争の戦費の支払をしてくれた」
自民党政権は、生活保護など福祉予算を削り、軍事費を拡大し続けています。それでも「ものを言わない国民」の多くは、自民党政権のポチになりつつあります。
私が若い頃の活動と言えば、主に動画のカメラマンでした。その私の周りには多くの活動家がおりました。物価値上げや社会保障の後退などで国民生活が危ぶまれているこの時期に、彼ら活動家はいったい何をしているのか、私には全く見えてきません。
現在のように「平時」の時でさえ物を言わないかつての活動家は、「有事」の時に物が言えるようになるのでしょうか。しかし「平時」の時にはものは言えなくても、「有事」には立ち上がる国民が多いかも知れないという希望的観測をもって、今回はこれまでとします。
おわり
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2023/9/6 石川栄一 |
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百年戦争になるのか「ロシア・ウクライナ戦争」
「ウクライナ軍報道官は、ロシア軍に対する反転攻勢について、南東部の戦線でさらに戦果を収めたと発表」「ウクライナ軍は前日、東部ドネツク州の集落ウロジャイネをロシア軍から奪還」などと、ウクライナ軍の戦果が毎日のように報道されていますが、これは大本営発表のようなもので、どこまで信用できるかは分かりません。
BBCでは、「ウクライナの戦死者が大幅増 東部の死体安置所をBBCが取材(2023年8月30日)」と報道。また米紙ニューヨーク・タイムズは最近、米当局の話として、ウクライナ側の戦死者が7万人、負傷者は12万人に上っていると報じました。ウクライナ軍の兵士は50万人強なので驚異的な人数です。
この数字が事実であれば、ウクライナ全兵力の4割近い38%が戦線を離脱していることになります。これは、ウクライナ軍の死者が今年4月時点で1万7500人と少なかったのですが、それが一気に7万人以上に跳ね上がったのは、南部での反転攻勢が一因と考えられるとしています。
米国がウクライナ軍に、ナパーム弾(油脂焼夷弾)や劣化ウラン弾を供与する理由は、ウクライナ軍が劣勢に立たされている証拠でもあるでしょう。またアメリカが、F16戦闘機をウクライナに供与するのも、ウクライナ軍の劣勢を認めたことになります。
これでは戦争が長期化し、大きな被害を受けるのは将兵のみならず民間人です。アメリカをはじめとする西欧の資本主義諸国は、米高官が述べていたように、ロシアを弱体化させるために、できるだけ戦争を長引かせようとしています。
日本もそれに利用されて、岸田自民党政権は、日本国民の血税を、支援と称してウクライナへの献上を約束しています。
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ロシア・ウクライナ戦争 |
一方、自民党の麻生太郎副総裁は台湾で「戦う覚悟」発言を行いましたが、戦争で戦うのは麻生氏のような老人ではなく、若者です。
そもそも、日本は憲法で「戦争の放棄」を謳っており、軍隊を持てないことになっております。
仮に中国が台湾を攻略したとしても、同じ民族である「漢民族同士の争い」であって、どちらが勝っても内政問題です。これはロシアとウクライナが戦っている「スラブ人同士の争い」と同様です。
同じ民族同士の戦いに、アングロサクソンやノルマン、ゲルマン、ラテンそしてヤマト民族が関わる権利はありません。
それは、世界には「民族自決」の精神があるからです。
また日本を戦争に巻き込み、石器時代に戻そうとする麻生太郎氏や自民党に、憲法を改正する資格など無いのです。
おわり
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2023/9/3 石川栄一 |
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「民族自決」の意味
各民族が,みずからの意志によって、その運命を決定するという政治原則。
人権の一つとも考えられている。〈自決self-determination〉の権利は,1950年の国連総会で基本的人権として認められた。さらに1960年の植民地独立付与宣言によって〈人民peopleの自決〉の権利が植民地の独立にも適用され,1966年の国際人権規約にも規定された。(百科事典マイペディア
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「働かざる者食うべからず」とは、「怠けて働こうとしない人は、食べてはならない」という意味で、働かないで遊びほうけることを、いましめる言葉です。しかし、ここでの「働かざる者」は、病気や事情により、働きたくても、働けない人を対象とはしていません。
この言葉の由来は『聖書』にあります。イエス・キリストの弟子、パウロが、ギリシア北部のエーゲ海に臨む港湾都市のテッサロニキの信徒に宛てた書簡に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と記し、「日常の労働を大切に励みなさい。まじめに働きなさい」と、働くことを奨励する言葉として伝えたといいます。
この言葉を最初の憲法にも採用したのが、かつてのソビエト連邦(ソ連)です。そこでは、人間(主に富裕層)による人間の搾取を禁止し、社会的諸階級および私的土地所有を廃止、さらに不労所得を認めず「働かざる者食うべからず」の原則を打ち出しました。
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「炊事遠足(札幌市藻南公園)」昭和33年頃(中央が私、小学5年生) |
さて「働かざる者食うべからず」とは別の意味で、約65年前、私が小学四年生の頃、「報道関係」の仕事をしておりました。
「報道関係」と申しましても「新聞配達」で、仕事の内容が単純すぎるのですが、広告を新聞紙に挟み込みのは難しかったですね。
まだ子供と言うことでもあり、配達するのは1日、50~60軒と少なかったのですが、雨降りの日と大型犬には参りましたね。
特に大型犬に吠えられるのが怖いので、その家をスキップした事もありました。その都度、新聞販売店に「未配(新聞が届いていない)」の苦情が来たようですが、私は「犬を何とかしろ」と言いたかったですね。
新聞配達の月給は500円くらいだったように記憶しています。
当時、ラーメン1杯が30円から50円の時代でしたので、良い小遣い稼ぎにはなりました。私の両親も多少は助かったと思います。
しかし、そのうち飽きが来て、新聞配達をサボり、放課後、小学校のグラウンドで同級生とソフトボールをしていたら、新聞販売店の店主のおじさんがバイクで迎えに来るのです。
30分くらい待たせて配達を行いましたが、私を迎えに来る時間があるのなら「おじさんが配達すれば良いのに」と思ったりもしました。
そして小学五年生の秋、自宅が中央区から北区に引っ越すことになり、自動的に「新聞配達」をやめることになりました。
子供の頃から働くことは苦ではなかったですね。むしろ楽しくて、小遣いも稼げるし、給料で「お菓子」や「ビー玉」・「パッチ」などの欲しいものが買えるので、中学や高校の時には、土方(ドカタ)のような仕事でもなんでもやりました。その後のアルバイトなどについては、機会があればお話しします。
おわり
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2023/9/1 石川栄一 |
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2009年末に「北海道庁パソコンソフト違法コピー事件」が発覚しました。
パソコンソフトの違法コピーが大量発生した北海道道庁を分析すると、違法コピーが発生しやすい組織の特性が分かりました。
北海道庁(高橋知事の時代)が、職員が使っているパソコンソフトを調査したところ、「4700本余りが違法にコピー」されたソフトだったことがわかり、今後コピーされたソフトを消去し、およそ1億4000万円(税金)を支払って新たにパソコンソフトを購入しました。
また、北海道庁が業務用のパソコンソフト4000本以上を違法にコピーして使用していた問題で、道の出先機関や道立高校でも約1万6700本分が違法コピーされていました。その結果、血税で約1億4千万円を計上しマイクロソフト社に支払ったことになります。
この問題では北海道警察は動きませんでした。それは道の出先機関である道警自体もパソコンソフトの違法コピーを行い違法と認識しながら使用していたからでしょう。
パソコンソフトの違法コピーは、パソコンユーザーであれば、ほとんどの人が経験があると思います。かつての北海道庁がコピー天国なら、北大はコピー極楽でした。パソコンソフトのコピーツールも発売されていました。
学部長自ら私のところに、パソコンの違法コピーソフトを持参して「印刷の仕方が分からないから教えてほしい」等の相談に来たくらいです。
どこかにオリジナルがあるのかも知れませんが、いずれにしてもコピーは違法です。またある教授は、ワープロのコピーソフトとグラフィックのコピーソフトを合体して、新しいソフトを開発したと自慢していました。
私はワープロソフト一太郎の全盛時代に、数社のワープロソフトの評価 をしたことがあるのですが、「98マガジン(NEC日本電気PC9800シリーズのソフト関連雑誌)」の出版社であったソフトバンク社から送られてきたのも、一太郎の違法コピーソフトでした。
そもそも、マイクロソフト社がWindowsを発売する以前の「MS-DOS」の頃に、NEC(日本電気)社から評価用に私の元に送られてきたのも違法コピーソフトでした。これでは日本全体がコピー天国だったんですね。
MS-DOS(エムエスドス)は、マイクロソフト社が開発・販売したパーソナルコンピュータ向けのオペレーティングシステム。マイクロソフト・ディスク・オペレーティング・システム(英:
Microsoft Disk Operating Systemの略。
おわり
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2023/8/28 石川栄一 |
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連日、暑い日が続いております。
残暑見舞いでも出そうかと思っておりますが、現在はまだ暑中を通り越して、猛暑見舞いを出さなければなりません。
こう暑くては、黙って座っていても汗が出てきますし、何も手につきません。
テレビでは熱中症予防のため「エアコンを入れるよう」勧めておりますが、テレビ局が電気代を払ってくれるわけがありません、そもそも我が家には、以前エアコンを取り付けましたが、電気を馬鹿食いするので現在は外しております。
さて、札幌の小学校では、二学期が始まっております。
私が子供の頃の小学校は、札幌市の現在の中央区にありました。琴似寄りでしたので中央区でも西の方角です。小学校の周囲を野菜畑が取り囲み、所々に「肥だめ」がありました。登校の時に、よく、肥だめに石を投げ入れて遊んだものです。その時の光景が忘れられません。
普通の池に石を投げると「ドボーン」と即座にしぶきが上がるのですが、肥だめの場合は、ワンステップ置いて「ベチャ」としぶきが上がるのです。それを見るのが面白くて、同級生のみんなで石を投げて遊んだものです。
真夏の授業中、農家のおじさんが、肥だめのコヤシを野菜畑にまくと、その刺激臭が教室の中に充満します。教室には、エアコンも扇風機もないので、窓は開けっ放しです。
そこで、窓を開けてコヤシの臭いを我慢するか、窓を閉めて暑さを我慢するかの究極の選択にになります。まあ、まことに人間味があり、忍耐力を育む授業にはなったと思います。
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私の小学校入学記念写真(昭和29年4月)
生徒、上から二段目、右から4人目の顔半分が私 |
札幌市の人口は、現在、約197万人(令和5年8月1日現在)ですが、私が子供の頃の人口は、その1/5程度でした。1/5と申しましても、人口は40万人くらいでしたので、当時でも札幌市は大都市でした。
昭和20年代~30年代初期の札幌は、マイカーはほとんど無く、タクシーは冠婚葬祭の時くらいしか利用しなかったようです。荷物は、馬車や馬ソリを使って運搬しておりました。
私は、時々、馬車や馬ソリに乗せて貰ったのですが、いやー楽しかったですね。しかし、私の目の前で馬が糞をドバドバドバと、タレられたのには、子供ながら驚いたものです。
また、当時のトイレは水洗ではなく、汲み取り式トイレのため、コヤシ(糞尿)汲みのおじさんも、馬車や馬ソリを使っておりました。
コヤシ汲みのおじさんは、家庭の便槽から汲み取った糞尿を大きな桶に入れて担いで運び、馬車や馬ソリに組み付けた大きな肥樽に入れておりました。
当時、「糞尿」の事を「コヤシ」と呼んでいたのは、糞尿を「肥だめ」に溜めておいて、畑の肥料に利用したからです。そのコヤシは、農薬や化学肥料を一切使用しないので、安全で健康的だったようです。
「人間の糞尿で育った農作物を人間が食べる」、
これこそ、まさしく「真の再利用であり、フィードバック」です。
昔の人は賢かったですね。
汲み取りのバキュームカーが出て来てたのは、私が小学校高学年の頃からです。その頃には、馬車や馬ソリは少しずつ姿を消して、オート三輪や小型トラックに取って代わりました。
その頃の札幌は、道路渋滞や交通事故も少なく、住み易い時代でした。世知辛く窮屈な現在とはちょっと違い、ノンビリとした古き良き時代でもありました。
おわり
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2023/8/24 石川栄一 |
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今日、福島第一原発事故で発生した核汚染水の処理水を巡り、岸田総理は「全責任を持って対応する」という意気込みで全漁連会長らと面会をしました。
岸田総理が「全責任」と言っても、もし処理水を海洋放出したことにより、海洋汚染が発生したら、どのように責任を取るのでしょうか。いさぎよく腹でも切るのでしょうか。
そもそも、東京電力が放出しようとしている処理水は、トリチウムが混入した水のみではなく、溶け落ちた「核燃料デブリ(核燃料等が冷えて固まったもの)」に触れた汚染水を処理した「処理水」であって、再処理施設で放出されてるものとも違います。当然「様々な核種」が想像もつかない状態で含まれています。
かつて、米CNNによると、昔から東京電力は報告を遅らせ、問題を軽視する傾向があると言い切っております。また時として、何が起こったかについて「堂々と嘘を付く傾向がある」とも述べています。
<米CNN「東京電力は昔から不誠実な対応を取ってきた」より>
<東京電力の嘘八百>
1.想定外の津波が原因は大ウソ。津波前に原子炉も電源も壊れていた。
2.全電源は大丈夫のウソ。50年前からの課題だった。
3.マニュアルは完璧のウソ。現場の技術低下に歯止めかからず。
4.原発は最も安いというウソ。実は「高コスト」。
核燃料の最終処理費を算入せず。
さらに、元 浪江町長も東京電力に対し、怒り爆発!
元浪江町長のコメントより
東電社長らに浪江町長「誠意感じられない」
浪江町は、原発事故の直後に浪江町に通報すべきだったことをしなかったとして、東京電力に理由などについて回答を求めていたが、東京電力は「まだ確認の途中」と答えている。この他、馬場町長は賠償の対応などに関しても誠意を感じられないとして「企業体質に道徳や倫理感がない」と指摘した。浪江町は、東京電力を刑事告発することを検討している。
(日テレニュース 2012年7月3日 21:13)
<東京電力の言い換え用語集>
『汚染水→処理水』 『事故→事象』 『原発の老朽化→高経年化』
『水棺→冠水』 『高濃度放射性汚染水→滞留水』
『核燃料の溶解→燃料の損傷』 『高濃度放射性汚泥→廃スラッジ』
『高濃度一般核廃棄物→クリアランス』
『プルトニウムを含む燃料→MOX燃料』
このような言い換えは、戦時中、日本軍が「撤退を転進」と大本営発表で報じたのと同様です。
「安全な汚染水(原発処理水)」なら海に流さず、国会と東京電力、そして、原発賛成派の飲料水にでも利用してください。
あるいは、中東は「油より水の値段が高い」と言われていますので、水資源のない中東諸国に、安全な処理水を輸出するのも一つの方法です。
または、安全な処理水と原油を「物々交換」すれば、処理水の問題も解決できるし、おまけに原油も手に入り一石二鳥です。
おわり
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2023/8/21 石川栄一 |
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#face へのリンク |
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私には全く縁がないのですが、よく「イケメン」という言葉を耳にします。
昔は「色男(いろおとこ)」とか「美男子」という表現がありました。
「イケメン」とは、辞書でどのように定義されているのでしょうか?
広辞苑によれば「若い男性の顔かたちがすぐれていること。また、そのような男性」とされています。まず、若くなきゃダメなんですね。
ここで、「顔かたちがすぐれている」とはどういう意味なんでしょうね。
逆にイケメン以外は「顔かたちが劣っている」ということでしょうか。
一般的に女性から見てイケメンかどうかは、人それぞれの印象で決まると思います。
しかし、自分の体型は努力次第、例えばスポーツジムで鍛えたり、ダイエットしたりで頑張れば、なんとかなると思いますが、親から与えられた「顔」については、自分の努力だけではどうにもなりません。
さて、その「顔」についてですが、左右に「目」と「耳」、真ん中に「鼻」とその下に「口」という具合に構成されています。
このように「顔の構成」は、古代の恐竜や魚竜から、現在の哺乳類や爬虫類、魚類(内耳)、鳥類、昆虫まで変わりません。これは何かの「法則」なのでしょうか。目が一つ、耳が一つの動物はなぜ存在しないのでしょう。目が一つはミジンコくらいでしょうか。
怪談の世界には「一つ目小僧」「三つ目小僧」あるいは「のっぺらぼう」というように、顔の構成が異なる妖怪が出てきます。しかし実際の世界にはそのようなものは存在しません。
しかし、この顔の構成が崩れた人を見たことがあります。
正月に「福笑い」というゲームをしたことがあるでしょう。おたふくの絵が正常な顔になかなかならないので、みんなで笑ったものです。
現実、そのように、顔のバランスが崩れた学生を、大学生協の文具売り場で見たのです。しかも、その学生の背丈は180センチくらいで、両足のすねは毛むくじゃら。私は目を疑いました。
研究室の大学院生の話では「あの学生は子供の頃に交通事故に遭ったことで、成長ホルモンが崩れたため、あのような容姿になった」といいますが、定かではありません。
私も顔のバランスが良い方ではありませんが、それで苦労したことはありません。特に大学の研究室では、教職員の顔や体型はどうでも良く、研究や実験の内容で評価されました。
おわり
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2023/8/18 石川栄一 |
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毎日毎日暑い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
こんなに暑くては、どこに行くのもおっくうになり、家でスカパーの有料番組、最近は録画したドラマ「ガリレオ(原作:東野圭吾 出演:福山雅治、柴咲コウ、吉高由里子ほか)」を見ながら、のんびりと過ごしています。
全編のDVDも買ってあるのですが、有料番組を録画して見た方が簡単です。
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マイクロ波殺虫器 |
首狩族 |
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このドラマ「ガリレオ」は、「レーザー光線殺人」や「幽体離脱」「念力殺人」といった猟奇的な内容が多く、宗教がらみは裏切り者を「送念(念力)」で殺害するという内容です。「丑の刻参り」の現代版のようなもの。実際は超強力な「マイクロ波が凶器」でした。
これは市販されている「マイクロ波殺虫器(商品名:電撃殺虫器)」を殺人器として応用したものなんですが、実際にそのようなことが可能なんでしょうかね。
つまり、電子レンジで、動物を加熱したら死んでしまうのと同様に、マイクロ波を人間が直接浴びると、人体に多くの害が及ぼされ、頭痛や目眩などの症状が確認されています。
実際、そのような殺人兵器を世界では米軍が開発中だそうです。
それは、人体の細胞内の水分を一気に加熱する新兵器です。
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ドラマ「ガリレオ」(フジテレビより) |
さて、今年の7月、札幌市すすきので、高齢男性の「首なし死体」が見つかり「猟奇殺人か」として報道されました。しかし首を切断して持ち去ったからといって即座に「猟奇殺人」とはいえないと思います。
戦国時代、敵の首級をあげた場合、一番槍とか一番首となり、その武将に手柄として莫大な報奨金や領地を与えられました。
また、世界には「首狩族」という人種がいます。戦利品として、首狩りを慣行とされていた人種は、台湾原住民、インドネシア、オセアニア、インド、アフリカ、南アメリカなど、世界中に存在しており「頭蓋崇拝」と呼ばれることもあるようです。そのような人種に、首を取ったから「首狩族=猟奇族」とは言えないでしょう。
札幌市すすきの殺人容疑者の家族の目的は何でしょう。
一般的に、自分の娘が、他人に殺意を持っていたら、親はをれを止めるようにします。しかし娘の被害男性に対する殺意が強く、親の説得に限界が生じたため今回の「首狩殺人」に至ったものと思われます。
これは、世間知らずの「プライドが高い」人間に多くみられます。
一方、仮に娘が被害者の男性に暴力を振るわれても、事件性がなければ、警察は一歩も動きません。また、警察は男女のトラブルには一切介入しません。
被害者の男性も、それをよく知っていたため、容疑者の女性とぎりぎりの付き合いをしていたものと思われ、その結果が今回の「首狩殺人」になったものと思います。
なぜ、男性の首を切断して持ち去ったかは、難しく考えることはありません。「精神異常を装う」ことで、容疑者らは刑事罰から逃れようとしているだけです。
たとえば、東宝「怪奇大作戦 第24話『狂鬼人間』 」というドラマがありましたが、現在「封印」されています。
「狂鬼人間」(内容)
精神疾患を患った人が、殺人を起こす事例が続け様に7件も起きる。
いずれも、刑法第39条を適用され無罪判決が確定した後、すぐ治癒して警察病院から釈放される。東宝「怪奇大作戦 第24話」1969.2.23 TBS
「君子、危うきには近寄らず」
プライドが高い女性には、近寄らないよう気をつけましょう。
おわり
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2023/8/15 石川栄一 |
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ある学者が人が死ぬ直前と直後の体重を量ったら、死後、21グラム体重が減っていたそうです。この「21グラムが霊魂の重さである」としたそうです。
本当でしょうか。しかし確実にいえることは、宗教が唱えるところの「天国も地獄もあり得ない」ということです。日本では人が死ぬと火葬され遺骨になります。遺骨が天国や地獄に行けないでしょう。
「霊魂」にしても、地球の引力圏から脱出することは出来ません。従って、人間はもちろん、全ての生物には「輪廻転生」しかないと思います。
ある学者は「世界全体は物質から成り立ち、この物質はその存在そのものに時間と空間を備えているわけですから、物質の世界は時間的にも空間的にも無限で、これ以外に別の世界があるとは考えられません」と言います。
また、ある学者は「物質は不滅で、身体という物質の組織があり、身体の組織が破壊されれば精神は消滅しますが、身体をつくっている『元素』は存在する」と言います。
つまり、前者は「第3の世界は存在しない」と言い、後者は「身体が消滅しても、その『元素は残る』と主張し第3の世界が存在する」余地を残しています。私は、どちらかというと、後者の説「第3の世界が存在する」を信じています。
私はこの第3の世界とは、宗教とは全く関係のない「霊魂の世界」であると思います。人間の目で見える波長は有限です。人間の目には見えなくても、存在する物が無限にあります。たとえば、ウイルスや細菌、電磁波や超音波、放射線も目には見えません。
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「墓参り」娘と私(2023年8月11日)
昨日、墓参をしてきました。朝早くに家を出ましたが混雑していました。 |
さて、まだ私が若かりし頃、親戚と家族で、青森県の恐山に旅行をしたことがあります。恐山には「血の池地獄」とか「賽の河原」などがあり、あまり気持ちが良いところではありませんでしたね。しかし温泉が湧いていますので、一風呂浴びてまいりました。
一番、印象に残っているのは、賽の河原の石積み。いたるところに供えてあった子供のおもちゃや縫いぐるみ、そして風ぐるまです。その光景を見ると、子供を亡くしたお母さんたちの姿が目に浮かびます。
恐山では「死んだ人の霊を呼び寄せる」という巫女(イタコ)が有名ですが、あれは眉唾物ですね。東北弁特有の”なまり”があるので、呼び出される霊も迷惑していると思います。
イタコが大声で「”ワタス”はオメエの父ダ」なんて言ったら、父親の霊に「なにナマッているんだよ」と叱られるかも知れませんね。死霊というのも何か変ですよね。一般的に死んだから「霊」と言うのではないでしょうか。
しかし、「三つ子の魂、百までも」という言葉がありますので、生きている場合も、使われるのかも知れません。
おわり
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2023/8/12 石川栄一 |
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私が子供の頃、小樽方面には海水浴によくいきました。小樽といえば、駅前の三角市場が有名でした。両親と魚の買い出しにいった記憶があります。
海水浴は銭箱(ぜにばこ)や張碓(はりうす)、塩谷(しおや)、蘭島(らんしま)にもよく行きました。(全て小樽市)
張碓では、よくカニ(磯カニ)やヤドカリを捕ったものです。
しかしカニを家に持ち帰ってもすぐに死んでしまうのですが、私のお爺さんが、死んだカニを焼いて食べていました。
当時の小樽市は商業都市と呼ばれ、札幌市よりも活気があったと思います。
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「弟と蘭島海岸にて」右が私(小樽、昭和30年代)白黒写真をカラー化 |
それから数十年、結婚して3年後、札幌市西区の新居に移転した夏、妻と娘を連れて積丹(しゃこたん)に海水浴に行ったのですが、波が高くて遊泳はできません。そこで波が来ない場所を見つけ、浜辺で娘とカニを捕って楽しみました。カニは10匹以上捕ったと思います。
そのカニを自宅に持ち帰り、小さな金魚鉢に入れて飼うことにしました。
ところが、夜中、枕元をゴソゴソと何かが這っているような音がするのです。電気を点けてみたらビックリ、這って歩いていたのはカニでした。
カニの鉢にはカニが一匹もいません。私は数匹捕まえてカニの鉢に戻しましたが、残り10匹くらいのカニは、どこに逃げたのか行方不明となりました。
ところが、朝起きて、カニの鉢の中をよく見たら、行方不明だった十匹以上のカニが、ちゃんと戻っているのです。これは夢ではないかと思いました。
その夜、蚊が飛んでいるのが見えたので、蚊取り線香つけて寝ました。
翌日、カニの鉢を見たら、ビックリ、カニが全部死んでいるのです。
カニは蚊と同様に、蚊取り線香には弱いようです。今でも可哀想なことをしたと思っています。合掌。
しかし、蚊取り線香は、カニにとっては「大量殺戮兵器」なんですね。
海でカニを捕ってきて飼う人は「蚊取り線香」に十分お気をつけください。
おわり
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2023/8/9 石川栄一 |
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私が子供の頃(昭和20年代)は、今で言う差別用語は問題にならない、いや問題にしない時代でもありました。
例えば、精神病院を「キチガイ病院」と呼び、視覚障害者を「めくら」、聴覚障害者を「つんぼ」、話すことができない唖者を「おし」、下半身不随で、歩くことができない人を「いざり」と呼び、総合的に身体障害者を「かたわ」と呼んでいました。
私が通う小学校の近くに文房具屋があったのですが、そこの店主が、買い物をしている大勢の子供たちの前で、しかも大声で「片目半額メクラ只(かためはんがく、めくらただ)」と叫びながら商売をしていたのだから、大人が率先して使用していた差別用語は、国民の隅々まで行き渡っていたようです。
なぜ差別用語が国内に蔓延していたかと言いますと、かつて日本には「徴兵制度」があって、身体障害者は、まともに兵役ができませんでした。軍国主義時代の日本、そのような人間は馬鹿にされていたのです。そして戦後も、身体障害者は差別される時期が続きました。
また黒人を「くろんぼ」とか「どじん」、さらに「人食い人種」とも呼ぶ人もいました。当時、図画の絵の具に「肌色(JISの色彩規格では「うすい黄赤」としている)」というのがありましたが、現在「肌色」という名称は、人種問題への配慮から、ほとんど使われないようです。
しかし、以前、沖縄の辺野古基地反対のために座り込みをしていた民衆に対して、機動隊は「どじん」と呼んで取り締まりに当たっていました。警察関係者の中では、いまでも差別用語が、脈々と生き続けているようです。
さて、お盆と言えば、毎年、家族でいった墓参りを思い出します。
札幌円山公園の南側、裏参道の横に、坂下公園(グランド)があり、その奥に円山墓地があります。円山墓地には、父方の祖父、石川家の墓があります。
私は毎年、両親に連れられてお参りにいきました。ゆかたを着て下駄を履き、ちょうちんを下げていくのが楽しみでした。時々、ローソクの火がちょうちんにうつって、燃やしてしまったこともありました。
当時(昭和20年代)、円山墓地には、乞食の家族がたむろしており、私たちの墓参がいつ終わるかを、乞食の子供が、他家のお墓の陰から探っているのが分かりました。おそらく、私たちが帰った後、供物を食べたのでしょう。
現在、お墓に供えた供物は、持ち帰るように霊園の管理者から指示されていますが、当時はそのままにしていきました。おそらく供物は乞食が処理してくれるという暗黙の了解があったのでしょう。
戦後の混乱期、現在のような「生活保護」という制度がない時代でしたので、戦禍で家から焼け出された人たちが大勢おりました。
そういう人たちが、地方から、空襲の被害がなかった札幌にどんどん集まって来ました。しかし札幌の住民でさえ、食べていくのが精一杯でしたので、地方から来た人など世話をできません。
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「鉄道公安官」中央が私の父 |
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「浮浪者扮装コンテスト」昭和20年代(白黒写真をカラー化)
全員、鉄道公安官です。私の父は手前中央でグランプリを獲得しました。 |
札幌駅には「浮浪者」、いまでいう「ホームレス」が大勢たむろしていて、当時、鉄道公安官(現在の鉄道警察)をしていた私の父は、浮浪者たちを保護しておりました。どのように保護したのか分かりません。収容施設に送ったのか、それとも、駅の構内から追い出したのか、いずれにしても浮浪者にも厳しい時代でした。
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黒松内「朱太川」(写真:たかはし河川生物調査事務所)
私が撮った写真が見つかり次第、差し替えます。 |
こんな話もあります。
母の女学生時代(戦時中)、黒松内の実家に帰省したとき、近所のおじさんが、「札幌のねえさんへのお祝いだ(何のお祝いかは分かりません)」として、赤飯を持って来たそうです。大きな皿に盛られたその赤飯の色をよく見たら、いろいろは色をしていたそうです。
当時、お盆のお墓は、ご馳走の山だったのでしょう。
母の実家の近所のおじさんは、仙人のような暮らしをしていたようで、他にも山菜の「ふき」の空洞にイカの足を入れて3cmくらいに短く切り、ニコニコしながら「コンブ巻き」だと言って持ってきたそうです。
また、そのおじさんは、毎月、黒松内役場に「10円(米10kgが3円位の頃)」の献金をしていたそうです。おじさんの息子たちは、皆、国家公務員や地方公務員ばかりなのに、なぜ畑の真ん中に掘っ立て小屋を建てて、仙人のような暮らしをしていたのか分かりません。
そして、ある日、おじさんの掘っ立て小屋が火事で燃えてしまいました。
おじさんは、それを見ながら「燃えちょる燃えちょる、悪火(あくび)だ、悪火(あくび)だ」と叫んでいたそうです。
それから70年以上経った今、黒松内の景色は当時とほとんど変わりません。
変わったのは、70年前、母の実家に行くときに渡った朱太川(しゅぶとがわ)にかかる賀老橋(がろうばし)から見た河川敷で遊ぶ子供の姿も歓声もないことです。只、静かに川は流れていました。
おわり
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2023/8/5 石川栄一 |
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私は、世渡りが下手な方ですが、「人間関係」には気をつけるようにしています。しかし、貧乏くじを引くのはいつも私のほうです。「私が何したのよ」と言いたくなるときがしばしばあります。
さて、宗教の言葉には、意味不明な言葉が多いですね。よく使われる「色即是空」にしても意味不明です。「万物の本質は空である」と言われましても「物理的に存在するものが何故、空なのか」という疑問が出てきます。
意味不明な言葉で人心を惑わすのはどうかと思うのです。例えば、お坊さんからよい説教をして頂きましても、仏様を拝んで病気が治ったり、収入が増えるわけがないのです。宗教を信じようとする人々は、自分が精神的に弱いからだと思います。宗教団体にも色々ありますが、所詮、観念論・唯神論の世界なのです。
しかし、神仏を信仰することで幸福になれたかたもいるようで、世の中、不可解なことが多いですね。
人間はいつかは必ず死にます。そして死してもお金が掛かります。
「地獄の沙汰も金次第」と言いますが、その地獄とは残された人の世界、つまり遺族の世界のようにも思えます。
まず最初に掛かるのは葬式の費用です。高い葬儀屋や祭壇を使わない限り、香典でだいたい賄えます。私の父親の葬式の時は、約二百人の参列者がありました。香典も合計二百万円位頂きました。
祭壇や霊柩車などの費用、全て合わせて百八十万円くらいかかりました。残った二十万円は、今後の法要の経費にまわしました。
昨年亡くなった母の葬儀や法要などに掛かった費用は、およそ250万円位でした。
問題は、墓地と仏壇です。私の父親は、三男でしたので、札幌市、円山の石川家本家の墓には入れません。従って札幌市、滝野霊園に新規に建立したのですが、永代供養費を入れて二百万円ほどかかりました。仏壇は仏具込みで三十万円。紫檀にしては結構、高価でしたね。
当時は消費税導入前でしたので、葬儀費用や墓地や墓石、仏壇などはその分、安くあがりました。
現在は消費税がかかりますので、葬式と墓地などに、四百万円かかった場合、単純計算で消費税が10%となると、四十万円も税金として税務署に持って行かれます。
ところで、火葬の場合、骨壺一杯にお骨を拾うのはやめて、粉末にして盃程度かコップ一杯にできますと、後々、楽なんでしょうね。それでも火葬は、土葬と比べますと、スペースをとらないため墓地も小さくて済みます。
次の問題は、家によっては、葬儀が終わったら、いや葬儀の前からかも知れませんが、遺族間で相続争いになる場合もあります。
我が家では相続争いはおきません。相続するだけの遺産がないので、相続争いなど起こるわけがありません。
何故か、このような文章を書いていると、人生が空しくなってきますね。
皆さんも、健康に気をつけて長生きしましょう。色即是空、空即是色。
おわり
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2023/08/01 石川栄一 |
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もうすぐお盆ですね。
この頃になりますと、どこともなく幽霊や死後の話題が出てきます。
私が不思議に思うのは、幽霊はなぜ、人がいると出てきて、いないと出てこないのかということです。幽霊騒動があった場所に、監視カメラを取り付けて24時間見張っても、幽霊は現れず何も写らないでしょう。
しかしあるテレビ番組では、人物の顔らしきものや光るものが写っているというものもありましたが、それは見ようによっては、どうにでも解釈できるのであって、人それぞれの心のありようだと思います。
何れにしましても、「見える」というのと実際に「存在する」というのは、全く違います。幽霊が見えるだけなら、その場所に行かなければよいのです。
どこにいても見えるとしたら、それは精神的な病気ですので、病院に行って治療を受けなければなりません。
有名な「四谷怪談」という映画やドラマ、演劇があります。そのストーリーは「妻のお岩が夫の田宮 伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というものです。
現在でもあり得る出世のために、伊右衛門は婿養子の身でありながら、上役の娘と重婚して子を儲けてしまいます。
伊右衛門は、その上役の娘も、殺害したお岩に見えてしまい、斬殺してしまいます。さらに、お岩の祟りによって、伊右衛門は関係者を次々と斬殺します。
この田宮伊右衛門も、おそらく罪悪感にかられ精神が病んでいたのでしょう。
その後、田宮家には不幸が続き断絶。その跡地では怪異が発生したことから「於岩稲荷」が建てられたということです。
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於岩稲荷「四谷怪談」を演ずる俳優は必ずお参りするそうです。
(写真:ウイキペディア) |
私が3歳くらいの頃、札幌円山病院(当時)で幽霊騒動がありました。病院のトイレで幽霊を見たという患者が続出したというのです。病院側は、僧侶の読経で霊を鎮めてもらったようです。その様子が、ラジオでも放送されました。いま考えれば馬鹿らしいですが、当時はそういう時代でした。
しかし、幽霊が生前、信仰していた宗派が分からなければ、お経をあげても意味がないように思います。宗派が違えば逆効果になるかも知れませんね。
人の魂に数があるとしたら、無限であると思います。人間の身体にも、多数の細菌が生息しているので魂は無限にあると思います。
しかし、宇宙から見れば、人間自体が細菌のようなものです。
ロシア・ウクライナ戦争などの、人間同士の争いは、宇宙から見れば細菌同士が争っているようなものです。
人間の意識は、どこから来るのかと聞かれますと、大抵の人は、脳からくると答えると思います。たとえ、目で見えなくても、脳で見ることができるのです。例えば夢です。しかし、人間が死んだ場合は、脳も死にますから、当然意識がなくなります。そして、火葬され遺骨になってしまうと、物質的な脳の存在そのものが、この地上から消えてしまいます。
ほとんどの宗教では、死後の世界を説きます。しかし私は、死後の世界というものは、元素化した魂の世界のみであると思っています。
宗教を信じている方には誠に残念ですが、そこには、宗教がよく唱えるところの「天国や極楽浄土」などは、一切存在しません。
死者の魂は、地上で浮遊しながら、新しい生命体の誕生を待ちつづけ、取り憑き「転生」する機会を伺っていると思うのです。
それは、数年か、数十年か、あるいは数百年、数千年後かも知れません。
しかし、たとえ転生するために数千年の年月がかかったとしても、魂には時空というものは存在せず、年月の進行は、まったく感じないのです。
ありとあらゆる地域の戦争、内戦は、宇宙から見ればどれもこれも細菌同士の争いであり、領土争いは人間同士の縄張り争いに過ぎないのです。そのためにある人は命を賭け、ある人は犠牲になることは、愚の骨頂としか思えません。

このビデオは、紀元前400年以来毎年ヨーロッパの各国の国境と人口を示しています。属国と植民地は国の人口に含まれていません。 |
動画のように、領土など、時代時代で刻々と変化しており「力による現状変更」を許さないと言っても「力による現状変更」で領土を拡張してきたのは、欧米の先進国なのです。
日本も例外ではなく、「力による現状変更」により中国、朝鮮、さらにインドシナから太平洋諸島までを侵略したのです。
そして最後は「力による現状変更」をしてきた欧米により、10万人以上の犠牲者を出した沖縄戦。さらに東京大空襲、広島・長崎への原爆投下で数十万人もの民間人が殺されたのです。
ロシア・ウクライナ戦争を終わらせるには、まずウクライナの降伏しかありません。その後、数十年、数百年後の復活を目指すべきでしょう。
この間に、敗戦後の日本と同様に必ず勝機があります。負けるが勝ちです。
おわり
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2023/7/26 石川栄一 |
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暑い日が続いています。
ここで、近況やつぶやきを書いていますと、何のために書いているのだろうと思うことがあります。何かを訴えようとしても、何の反応もない世界。その先には人生の終わりが見えてくる世界。その時間と空間の狭間で、過去の記憶と未来の空想が脳裏に浮かんでいる世界。
年をとるということは、こういうことなんでしょうか。まあ文章を書くということは惚け防止にもなると思いますので、このまま続けましょう。
私の母は、生前、私が定年退職した頃から認知症を患い、近くの老人病院に入院しました。
老人問題については、以前「ふらっとホームin西区(写真)」に参加した際に、当時、副市長の渡部氏から招待を受け、数日後、札幌市本庁舎の副市長室に出向き、直接説明を受けた経緯があります。
副市長室は市役所の10階にあるのですが、エレベーターを降りると右側に、ガラス張りの壁の中央に扉があり、その前にガードマンが頑と構えております。
前もって連絡をしていたので扉を開いてもらい、中に入ると秘書室のような長い部屋を通り、秘書に案内され副市長室に入ります。
この副市長室も非常に広く、40~50畳くらいの広さで、北大工学部の教授室の7~8倍はあります。
10分くらい待つと、副市長の渡部さんが入ってきて、1時間くらいにわたって、老人問題や施設などについて説明されました。
その際、老人問題よりも、「引きこもり問題」について詳しい説明を受けた記憶があります。
結論として、引きこもりが「女性でよかったですね。男性だったら家庭内暴力につながりますから」で、話が終わりました。その程度の説明なら精神科医の副市長でなくてもわかるでしょう。
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『平成24年度ふらっとホーム in 西区』 写真(記念写真)
上田札幌市長(当時)の後ろにいるのが私 |
さて本題に入りましょう。
皆さんは、ペットを飼おうとして、犬か猫か迷った場合どうされます。私は断然、犬ですね。犬はペットに限らず様々な方面で活躍しています。例えば盲導犬、警察犬、麻薬探査犬、災害救助犬などなど。
それに対して猫はどうでしょう。
昔はネズミを捕るために、猫を飼う家庭が多かったと思いますが、現在はネズミ退治の目的で猫を飼う人は、殆どいないと思われます。
かつて、中国の主席が「黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕る猫は良い猫だ」と述べたそうですが、私の周りでは、今はネズミを捕る猫など聞いたことがありません。従ってその主席の言葉を借りれば、ネズミを捕らないため悪い猫ばかりになってしまいます。
また、「盲導猫」とか「警察猫」なんて聞いたことがないですし、そもそも、日本語入力システムの辞書には「盲導犬」は登録されていますが「もうどうねこ」は登録されておらず、無理に変換すると「妄動猫」や「盲動猫」になってしまいます。それでは、なぜ猫はペットとして飼われるのでしょうか。これは言うまでもなく可愛いですし、人間の思い通りになるからでしょう。
十年ほど前、私の自宅付近に、野良猫が住み着いていたのですが、飼い猫と違って目つきが悪いのです。また花壇や野菜畑は猫の糞尿だらけになりますし、クルマのボンネットは爪で傷を付けられるため、家族が迷惑を受けていました。
さて、私がまだ5歳くらいの頃のお話です。
札幌市中央区の自宅の前は電車通りで、すぐ近くには路面電車の停留所(西高校前)があり、いま住んでいる西野では考えられないほど、交通の便が良いところでした。当時、私の自宅は店舗兼用共同住宅でした。そのうち1戸は電気店に貸しておりましたが、何故か2~3年で店じまいしてしまいました。
やがて、私の自宅は貸していた電気店の方に移ることになりました。
しばらくして、うちに下宿していた私の叔父が、そこで電気店を始めることになったのです。何故、叔父が私の家で電気店をやることになったのかと言いますと、私の父は鉄道公安官であったため兼業ができなかったのです。その為、名義は叔父で、私の母が店番などをしておりました。
居間と店舗は、ガラス戸で仕切られていましたが、お客さんが来れば、すぐに分かりました。電気店と申しましても、当時の電化製品は、真空管ラジオと電気蓄音機、略して電蓄、そして電気アイロンくらいで、テレビや電気洗濯機、電気冷蔵庫などは、まだ普及していませんでした。
昔の、電化製品は壊れやすいものばかりでしたので、修理業という商売はうまくいっていたようです。
例えば、電蓄やラジオの真空管交換、アイロンのヒーター交換、また住宅の蛍光灯や白熱灯の取付けや電球の交換などは、かなりの収入になったようです。
本題に入ります。ある夜、屋外に置いてあった自転車を店舗に入れて、店じまいしてからの話です。夜9時を回った頃、居間から店舗の中を見ますと、誰もいないのに自転車の車輪がカラカラカラと回っているのです。
よく見ると、白い猫が自転車のペダルをクルクルと回しながら遊んでいるように見えるのです。いつ店舗の中に入り込んだのだろうか、と思いながら、ガラス戸を開けてみても、ネコの姿はどこにも見あたりません。
しかし、ガラス戸を閉めたら、また自転車のペダルを回す白いネコが見えるのです。白い猫が見えたのは私だけではなく、両親や叔父も同様に見えいるのです。特に母親は大騒ぎでした。そして、もう一度ガラス戸を開けて店舗内を見渡しましたが、やはり白いネコはいません。
今度は、店舗側から居間を眺めてみました。すると、ストーブの側に白っぽい干し物が干してあり、暖気の影響なのかヒラヒラと揺れておりました。母親はとっさに、白いネコの正体は、この干し物かもしれないと判断し片づけました。
白いネコの正体は、やはり白っぽい干し物だったのです。
つまり、その干し物が、店舗に置いてある自転車と合成されてガラス戸に映り、白いネコがペダルをクルクルと回しているように見えたのです。しかし何故、犬ではなく、白いネコと決めつけたのでしょうか。
その理由はこうです。公安の仕事が非番で休みだった父親が、白い野良猫を捕らえて虐待したらしいのです。その光景を母親が見ており、大変気にしていたそうです。あまり気にするので、ガラス戸に写った干し物が、白いネコに見えるという結果になったのでしょう。
ところが、翌朝、自宅の花畑に、花を見に行った時、白い猫の遺骸がありました。それを見た私は、やはり昨晩の白い猫は、亡霊だったのかも知れないと、背筋が凍る思いをしました。
それから半世紀、西野の自宅の周りに、数匹の野良猫がたむろしておりました。野良猫たちは北海道の冬は厳しいため、暖かい場所を探しながら彷徨い歩いておりました。
その為、野良猫たちは、家主が勤務から帰宅してクルマのエンジンを切ったばかりの暖かいクルマのボンネットに上がったり、エンジンの 下に潜り込んだりと、命がけで暖を取っていたようです。
町内では、クルマの所有者が、ボンネットに爪で傷を付けられたりするため猫を追い払っておりますが、またどこからか違う猫が現れるため、ネコゴッコではなくイタチゴッコが続いています。
猫は犬と違い、集団で暮らすことはないようで、その日によってイタズラしにやって来る猫が異なるのです。北海道の厳冬期は、野良猫にとっては悲惨ですね。猫を捨てた飼い主は、責任を取るべきと思います。
また、ある夏の日、自宅の裏玄関の方で、ニャーニャーという声がするので、様子を見に行ってみたら、親ネコが、6匹の子猫に乳を与えていました。その親ネコは、私に対して歯をむき出して威嚇するのです。私は親ネコだけなら追い払ったのですが、子猫に乳を与えている微笑ましい光景でしたので、そのままにしておきました。その6匹の子猫も、やがて野良猫になって、ねずみ算、いやネコ算式にどんどん増えていきました。その後のことは、ご想像にお任せします。

ペットの犬猫の寿命は、最長で20年位と思いますので、飼う場合は、彼らのために飼い主の寿命も考慮しなければなりません。
たとえば、飼い主の年齢が、50代半ばを過ぎてから犬猫を飼う場合は、彼らより先に寿命が尽きてしまう恐れがありますので、犬猫にとっては好ましいことではないと思います。
つまりペットよりも、飼い主が先に死んではならないということです。
ペットにとっては、死に水を取ってくれる心優しい飼い主が存在することが一番幸せなのです。しかし、飼い主が長生きしても、認知症になったら、ペットの世話もできなくなるかも知れません。
また、ペットも認知症になると「認認(にんにん)介護」になる可能性もあります。飼い主も、ペットも元気に長生きしましょう。
おわり
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2023/7/21 石川栄一 |
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