<鎌倉時代『千早城の戦い』>
鎌倉幕府は、討幕を志す討幕派の一人として、※楠木正成を血祭りにあげようと、北条一族を主体とした幕府軍を編成し、楠木正成軍1,000人に対して、ほぼ100倍の10万人を動員したのです。通常ならば、ここで討幕派は降伏するのが定石ですが、楠木正成は、他の武将とは違っていました。
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『千早城の戦い』 10万の鎌倉幕府軍に対し、
楠木正成軍は1000人の兵力で迎え撃つ |
鎌倉幕府軍10万の軍勢は、楠木正成軍が籠城する千早城にやみくもに力攻めを仕掛けてきました。これに対し楠木正成軍は、通常の合戦では考えられない作戦で、崖をよじ登ってくる幕府軍に対し、糞尿をぶっかけたのです。幕府軍は、顔や鎧に糞尿をかけられ、戦いどころではなくなって、一斉に千早城の麓に退却しました。
幕府軍は第二次の攻撃を仕掛けてきましたが、正成は大量にある糞尿を再度まき散らし、第二次、第三次の幕府軍に糞尿を浴びせかけ、一歩も城に寄せ付けませんでした。糞尿をぶっかけられた将兵たちは、臭くて臭くて戦いにならなかったでしょう。
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『千早城の戦い』 楠木正成軍は鎌倉幕府軍に対し糞尿をぶっかけ、
城内から石や丸太・小枝を球形にして火をつけ、崖の上から大量に落とす。 |
次に正成が取った戦法は、大小を問わず城内から石・丸太・小枝を球形にして火をつけ、火だるまにして、崖の上から大量に落とす作戦を取りました。
幕府軍は石や丸太の下敷きで大怪我をしたり、火傷をする者が続出し、この状況を見た将兵は、続々と戦線を離脱して、自分の領国へ退却していったのです。
幕府軍の指揮命令は崩壊、将兵は敗走しましたが、正成軍はまったく無傷で、武器も使わない大勝利でした。
〈参考文献〉家村和幸 「真説 楠木正成の生涯」 宝島社ほか
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『クレムリン宮殿』 ロシア連邦の首都モスクワにある城砦。帝政時代には
ロシア皇帝の居城とされた。現在はロシア連邦政府の諸機関が置かれている。
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さて、一人の戦死者も出さずにウクライナからロシア軍を撤退させるには、この楠木正成の「糞尿作戦」を応用するのです。
まずウクライナに巨大な肥だめを作り、ヨーロッパのみならず、国際的に世界中から、あらゆる民族の糞尿を集めると同時に、数千両のバキュームカーを準備し糞尿を溜め込みます。
そして、前線の戦車や自走砲などの兵器を全てバキュームカーに置き換えます。配置が整ったら、一斉に数千両のバキュームカーに溜めた数万トンの糞尿を前線のロシア軍に対して「逆噴射」します。
ロシア軍は、砲弾や銃撃に対しては塹壕や防御施設で防衛できますが、いたるところからドロドロと流入してくる糞尿に対しては、戦争どころではなく、逃げる以外に方法はありません。
次の糞尿大作戦はクレムリンに対して実行します。
糞尿の輸送手段は、積載量500トンクラスのリモコン操作が可能な大型飛行船が良いでしょう。最低10機は必要です。
当然、ロシアは準備段階から察知するでしょう。そこで一週間程度の停戦協定を結ぶのです。その際、ロシアの要求をすべて受け入れるのです。当然、反故にするのが前提であり、ロシアも過去に幾度となくやってきたことです。
プーチン大統領自身も、紙に書いた協定など、どうでも良いと思うでしょうし、プーチン大統領が最も守りたいのは、自分自身の名誉のみなのです。
さて、停戦中に糞尿5000トンを10機の飛行船に溜め込んだ後、停戦期限が終了した深夜に飛行船はクレムリンに向けて出撃します。この場合のルートは出来るだけ人口密集地帯を、雑巾がけのように超低空で飛行させることで、ロシア軍の迎撃機や対空ミサイル攻撃を極力避けることが出来ます。
更に、ロシア国内やインターネットで「飛行船には大量の放射性物質を積載している」というデマを流し、容易に攻撃されないようにします。
飛行船の速度は、時速100km程度ですので、モスクワまでの距離約500kmを5時間くらいで飛行します。
うまい具合にクレムリン上空に到着したら、飛行船をホバーリングさせます。
そこで、再度、ロシアと停戦協定を結びます。飛行船の燃料が尽きるまで限られた時間しかないので急ぎましょう。
ここで、プーチン大統領に対し、ロシア軍のウクライナからの完全撤退を要求します。「世界遺産であり、大統領府を擁するロシアの中枢であるクレムリンを、糞尿まみれにしていいのか」と。時間は飛行船の燃料が尽きる数時間しかありませんので、プーチン大統領は焦るでしょう。
プーチン大統領が要求を受け入れ、ロシア軍のウクライナからの完全撤退を承諾したら戦争は終結しますが、もしノーなら、クレムリンが世界の肥だめになり、赤の広場が「黄の広場」になるでしょう。
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『マリア宮殿(ウクライナの首都キーウにある宮殿)』
ウクライナ大統領の公邸・迎賓館
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ウクライナからロシア軍の完全撤退が実現したら、皇居外苑に「馬に乗った楠木正成像」が建ったのと同様に、ウクライナのマリア宮殿前に「バキュームカーに乗ったゼレンスキー大統領像」が建つでしょう。
おわり
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2023/12/03 石川栄一 |
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後醍醐天皇の倒幕の命を受けて拳兵し、北条氏の大軍をやぶり鎌倉幕府討滅につくした武将。 元弘の乱(1331年 - 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。 |
国家存亡の危機、毒矢や炸裂弾を装備していたモンゴル軍に対して、日本軍(鎌倉幕府軍)は、糞尿を煮立たせて樽に詰め、これを敵船に投げ込んで耐え難い悪臭を発生させ、彼らを苦しめたという苦肉の策もあったようです。 |
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テレビや新聞では、ウクライナ戦争について毎日のように、西側の主張を中心に、ウクライナ側の戦果をアクションゲームのように扱い、大本営発表の如く報道を行っています。
ミサイルやドローン攻撃の噴煙の下で、多くの市民やロシアやウクライナの政権によって動員された兵士が、亡くなったり傷ついたりしていることは、ほとんど報道されません。これでは永久に戦争は終わりません。 |
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