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カメムシは秋頃になると家の中に入ってきて異臭を発散させます。現在でも解決ぜず悩みの種になっています。 |
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一人も殺さず、殺されずに、ロシア軍をウクライナから完全撤退させる方法を紹介します。 |
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裏金議員をのさばらせて
オニギリ2個を万引した87歳老女…窃盗の現行犯で逮補 |
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北海道苫小牧市 2/24(月) 6:59配信 北海道ニュースUHB |
2/24(月) 6:59配信 北海道ニュースUHB(フジテレビ系)のニュース
女を逮捕した北海道警苫小牧署
おにぎり2個を万引した87歳の女を逮捕です。
苫小牧警察署によりますと2月23日午後4時10分ごろ、北海道苫小牧市内の大型ショッピングモールから「万引きした犯人が店内にいる」と110番通報がありました。
警察官が駆け付け、店内にいた苫小牧市内に住む87歳の無職の女を窃盗の現行犯で逮捕しました。女は調べに対し「おにぎり2個518円相当を盗んだことは間違いない」などと供述しているということです。 警察では犯行の動機や余罪などについて、調べる方針です。(UHB
北海道文化放送) |
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法律上でいえば、万引きは窃盗罪にあたるということは誰でも分かっていると思います。おにぎりを万引きしたお婆さんも、おそらく、自分の子供や孫たちには「人の物を盗んではだめだよ」と言い聞かせてきたに違いありません。
しかし、仮に87歳まで万引きをしながら暮らしてきたとしたら、それはもう奇跡としか言い様がないでしょう。それでは、なぜ、おにぎり2個を万引きしなければならなかったのか、その原因はいろいろ考えられます。
1.『生活苦』 やむにやまれぬ事情での行動だったかも知れません。ショッピングモール側は「万引きした犯人が店内にいる」などと警察に通報せず、お婆さんから事情を聞いて、おにぎり2個くらいなら「どうぞ」と只で差し上げるくらいの度量があれば、そのショッピングモールの人気も上がると思います。
2.『クレプトマニア(窃盗症)』 物を盗みたいという衝動・欲求を制御できず、コントロールできなくなる病気です。
盗った物は、個人的な用途や金儲けのために必要とされないことが多く、捨ててしまったり、隠したり、人にあげたりすることがあります。
3.『認知症』 病気の症状と気づかれずに「犯罪」と誤解されて、刑罰を科されるおそれのある認知症は「前頭側頭型認知症」と言います。
「なんでこんなものを盗るの?」と、首をかしげるような数百円程度の商品であることも多いといわれています。
4.『愉快犯』 店員の目をかすめて商店から物を盗んでスリルを味わう。
大人が「自分が子どものころは、よくみんなで万引きしてた」などと自慢げに語りたがる犯罪行為です。商店や店員が慌てふためく様子を陰から観察・想像して喜ぶ行為です。人として許せませんね。
それにしても、おにぎり2個(518円)は高すぎます。いま米の値段が上がっているので、おにぎりの値段も高騰しているのかも知れません。
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【日テレ】“裏金”リスト 自民党の安倍派・二階派議員は現時点で42人 |

さて、今回、87歳のお婆さんは、おにぎり2個(518円)を万引きして逮捕されましたが、一方、なぜ裏金議員は逮捕されないのでしょうか。さらに、元自民党議員の杉田水脈は、裏金1564万円を脱税し、現在、呑気に台湾旅行をSNSにアップしてます。正に人間って此処まで醜態を晒すものでしょうか。
過去にこんな万引きに関する記事がありました。
■『3歳児、おなかすいて盗んだ 両親は借金背負い不在』(アサヒコム)
万引きで補導されたのは3歳の保育園児だった…ほぼ子どもだけでアパートで暮らしていた…空腹を満たすため万引きした。
■『おにぎり万引き「生活苦しかった」校長逮捕』(日本テレビ系)
逮捕されたのは帝京冨士中学校・高等学校、校長の吉岡行正容疑者(63)
大洲市内のスーパーでおにぎりや酒など11点、合わせて1200円余りを万引きした窃盗の疑い。
■『警部補、捜査現場から1万円窃盗容疑で書類送検 (時事通信)
万引き被害の110番を受けて駆け付けたコンビニ店で1万円札を盗んだとして、愛知県警は、窃盗容疑で東署地域課の男性警部補を書類送検し、停職3カ月の懲戒処分とした。
■『「2歳の長男に運ばせた」おむつ万引き容疑の女が供述』(神戸新聞)
店内の防犯カメラには、長男とみられる幼児が、紙おむつの袋を持って歩く姿の映像が記録されていたという。
このように、万引きにも、いろいろなパターンがあるようですが、現在、現実に「万引き老人」が増えているらしいです。
87年間も頑張って生きてきて、今日食べるものにも困る、そんな国にしてしまったのは明らかに自民党です。経済優先の社会は必ず貧困を生み、生きることも困難な弱者を見捨てます。貧困は心の中まで貧しくしていきます。

どうも、日本はおかしくなっています。
「国家認知症」とでも名付けましょうか、今回、87歳のお婆さんが、おにぎり2個を万引きした原因が生活苦であれば、自民党政府としては、由々しき事態であることを認識すべきでしょう。
また、食料支援に並ぶ生活困窮者がいるのに、開発途上国や紛争国を支援した結果か、国の豊かさを示す指標である「一人あたりGDP」が落ち続けています。このままでは、日本のGDPは、やがて開発途上国並になるのは明らかです。自民党政府は、足元に飢えている人たちが大勢いる現実を認識できず、見て見ぬふりをして良いのでしょうか。
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私(3歳,中央手前)と弟(左上)・父母・祖父(1950年冬) |

私の家は子供の頃から貧困でしたが、全く気になりませんでした。
友達も同じだったと思います。ただ、同級生の中に両親が働いている家庭があると、子供の私でも母親が働かなければならないほど貧乏で大変なんだと思ったほどです。1950年代、夫婦共働きは珍しい家庭でした。
同級生の女の子の中には、担任の先生に遅刻した理由を「母親が働いているので、ご飯支度のため遅刻しました」と話したときは、私は、大変な家庭なんだと考えさせられました。これは小学校4年生のホームルームの時でした。現在、夫婦共働きは普通になったように思います。
令和の日本は、昭和の日本とどこか似てきたようにも思えます。いままで何回か話してきたように、昭和のあの「おにぎりの話」もその一つです。
《昭和二十年代初期》 当時は、クルマもない、冷蔵庫や洗濯機もない、満足な衣服もない、あるのは寝るところと、食べるところくらいでした。このように、市民が皆、貧乏であれば貧富の差が無いのは当然です。
しかし寝るところもなく、食うこともできない人々もいました。
そのような人々は、私の家のような、貧乏人の家からも、食べる物を貰いながら暮らしていたのです。
私が3歳くらいのころ、見知らぬ母子が、うちに「食べる物を頂けませんか」と訪問して来たのです。私の母親は、その母子におにぎりを握ってあげていました。子供は、私と同じ年頃の女の子でした。
昭和二十年代の昔は、なんといっても貧乏人の中の貧乏人といえば、公務員や鉄道員でした。なにせ「給料が安い公務員には嫁がこない」という時代でしたので、どれだけ貧乏であったか察しがつくと思います。
父親は、中国の戦地から復員し、鉄道公安官として国鉄に勤めていたためか、私は近所の子供らから「日本一の貧乏人」と呼ばれていたくらいです。
年頃の女性が、誰も嫁にこないのを知りながら、父親になぜ国鉄に勤めていたのか知りたかったのですが、もうそのわけを聞くことはできません。
おわり
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2025/2/27 石川栄一 |
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私の伯父「腹が減っては戦はできぬ」 |

アジア太平洋戦争において戦没した日本軍人・軍属の総数は約230万人にのぼります。その過半数は、戦闘行動による戦死ではなく、食糧が補給されないために起きた飢餓地獄の中での野垂れ死でした。この事実は、歴史学者である故・藤原彰氏が『餓死した英霊たち』(青木書店・01年)で実証的に明らかにしました。
餓死の一字をとって「餓島」と呼ばれていたガダルカナル島では、死者2万人のうち1万5千人が餓死。東ニューギニアでは9割、インパール作戦では8割、日本軍が最も多い50万の死者を出したフィリピンでは40万人、中国本土では半数が餓死でした。
日本軍の戦闘地域を平均すると実に6割以上140万人が飢え死にか、栄養失調が原因の病死でした。日本軍がインパールから後退する道は「靖国街道」「白骨街道」と呼ばれました。
「兵糧攻めで7,600万人が餓死する日本」
そして令和の米騒動と呼ばれている現在でさえ、食料自給率(カロリーベース)が38%(農林水産省資料)に止まっています。
過去に何回か起きた米騒動にも見られるように、食料を輸入に頼っている状態では、自国の防衛は言うまでもなく、世界情勢や輸入先の国の経済・社会事情や輸送の障害などによっても、日本に十分な食料が届かなくなることもあるのです。早急に食糧自給率を上げなければ日本の防衛さえできません。
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私(8歳,中央)と母(左)、兄弟と伯母達 (1955年頃)
白米が食べられない時代でも皆、元気に暮らしていました。 |

まず、できるだけコメを食べないことです。国民がみんなでコメの消費量を減らせば、高騰を続けているコメがだぶつき、価格を下げなければならなくなります。それでは何を食べるのかと言いますと、まず麦飯です。
私が子供の頃、白米が食べられるようになったのは中学生になってからです。それまでは、道産米と麦を混ぜたご飯でした。
当時の道産米は、麻生副総理が言うように『厄介道米』といわれ、お世辞にも美味しいとは言えません。コシヒカリなどの本州米は『内地米』と呼ばれ高級なコメでした。その『厄介道米』に麦を混ぜて食べていたのですから、どのようなご飯か想像も付かないと思います。
私の妻も子供の頃、その麦が混ざったご飯が食べられず、茶碗の中からコメだけを選んで食べていたそうです。
しかし、現在、その麦も高騰し健康食品の部類に入ってきました。
それでも、現在の米価よりも安く購入することができます。高騰を続けている米価を引き下げるためには、昔のようなコメと麦のブレンドご飯も役に立つと思います。
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麦ご飯 ぷちまる君 1kg 359円 |

ヨーロッパや北アフリカ・西南アジア、またヨーロッパ人の植民を起源とする北米カナダ、南米アルゼンチン、チリ、オセアニアのオーストリアなどでは小麦が主たる作物となっています。これらはおおむねパン食を主とする地域です。
パン食を主とする地域でも、米国は、輸出向けを飼料用トウモロコシを中心に世界のトウモロコシの作付の4割、輸出量の6~7割を占めているため、収穫面積も他の作物より多くなっています。
また同じくパン食地域であるが、北欧諸国やスペインでは飼料用に用いられる大麦が一番面積の大きい作物となっています。
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世界各国の主たる作物 |
このような図を見ますと、日本も主食をコメに拘らなくても良いのではないかと思ってしまいます。私が子供の頃は、小学校の給食でもコッペパンと脱脂粉乳でした。コメの主食はありません。
現在は、JA「農業協同組合(農協)」や米屋の宣伝のような、「お米の方がパンよりもカロリーオーバーしにくく、脂質の量も小麦に比べて低いため、太りにくい。おかずとの栄養バランスも取りやすので、ぜひ主食として積極的にお米を取り入れ、健康な体を作るのに役立ててください」などと、肥満防止のためにコメを沢山食べるようにも聞こえてきます。しかし、パン食は肥満に繋がるのか疑問です。
確かに、テレビなどを見ていますと超肥満の欧米人が出てきます。
特に警察官に110Kgもありそうな巨漢も多いように思います。あの巨漢じゃ、犯人を追いかけられないため、直ぐに発砲するわけが分かります。
昔は「白米を食べ続けると脚気になる」と言われていましたが、現在のコメは大丈夫なんでしょうか。脚気とは、ビタミンB1が不足することで発症する病気です。疲れやすい、食欲不振、倦怠感などの症状が現れ、神経や心臓に関連する症状が現れることもあります。
それは、胚芽部分に多いビタミンB1は、精米で取り除かれてしまうため、白米にするとわずかしか残りません。これにより脚気の原因になります。
明治時代、脚気の流行が拡大し、年間1万~3万人が脚気で亡くなりました。
特に、同じ兵食を食べる軍隊内では脚気によって兵士が次々と亡くなり、国家を揺るがす大問題になりました。戦傷者より脚気患者のほうが多く出て、壊滅状態に陥る隊すらあったといいます。
現在、疲れやすい、食欲不振、倦怠感などの症状がある方は、白米から麦ご飯かパン食に変更すると体調が改善するかも知れません。
また、肉食も考えられますが、人間を凶暴化するようです。
昔、教授室での会話です。私の教授が、こんな事を言いました。
「石川君、白人は凶暴なんだよ」
私は「何故ですか」と聞くと、
教授は「白人は肉をたくさん食べるでしょ」と答えたのです。
私は、なぜ肉食は凶暴になるのか分かりませんでしたが、これには裏付けがありました。それは、凶暴で有名な暴走族たちの日常生活を細かく調べたところ、彼らの食生活は肉食と砂糖に偏っていたといいます。つまり、調査対象のほぼ全員、95%の若者がハムやソーセージ、ハンバーグといった肉類ばかりを好んで食べていたといいます。
こういった調査の先駆けとなったのが、1964年にロンドンで行なわれた「社会精神医学国際会議」で英国のマッカーネ博士が発表した研究です。
肉類ばかりを食べていた凶暴な少年に、野菜、くだもの、黒パンなどを主とする自然食にかえたところ、なんと1~2週間でおとなしくなったといいます。
しかも、ただおとなしくなっただけでなく、今まで見られなかった忍耐力や寛容性もでてきて、いわゆる良い子に変身したそうです。
良い子の定義は良く分かりませんが、学校の先生や親の言うことを良く聞き、社会常識を守る子供なのかも知れません。
しかし、学校の先生や親の言うことが正しいのか、社会常識が正しいのかという疑問を持つと、話しが変わってきます。
海外旅行では、主食がコメの国は少なく、ヨーロッパの殆どの国ではパン食です。私が一週間ほど旅をしたイタリアの主食はパスタでした。
パスタにもスパゲッティなど色々な種類がありますが、一番多かったのは、コンキリエという貝の形をしたショートパスタで、シェルともいわれます。
幅が10〜20mmのものが多く、大きいものは、中に詰め物をして調理されています。大きいものをコンキリオーニ、小さいものをコンキリエッテといいます。
パン食にしても、肉食にしても、パスタ食にしても、需要が増えれば、需要と供給のバランスが崩れ、現在の米価のように高騰します。
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多くの生産者は、JA(農協)ではなく
コメを高く買い取ってくれる食販会社に売っている。 |

『千載一遇のチャンス(1974年)』
1973年10月、第4次中東戦争が勃発。翌年74年から、石油価格の高騰に伴なって世界経済が混乱。いわゆる「第1次オイルショック」が起きました。
翌月、衆議院予算委員会で、ゼネラル石油の社内文書に「千年に一度、偶然訪れるくらい滅多に無い恵まれた状態・機会」を意味する「千載一遇」という言葉を使い「石油危機は千載一遇のチャンス」と記載されていた事が発覚したのです。
また、石油元売り各社が話し合いで石油の価格を一斉に値上げした事が、公正取引委員会によって刑事告訴されました。これが「石油闇カルテル事件」です。
これと同様なことが『米価闇カルテル』となって、米穀卸売業界でも行われているのは確実と言っても良いでしょう。
しかし、このカルテルが犯罪に繋がらないように、あらかじめ、国会で法律を作っているため公正取引委員会も動けません。
生産者の立場に立つと、JA(農協)は、肥料や袋代やコメの保管料や検査代金などをどんどん値上げして、しかもコメの買い取り価格を毎年のように引き下げて「コメを作れば作るほど赤字になる」まで貶めて離農を加速させたきました。
JAは農家のための組織ではなく、JA自身の利益を優先し、農家を犠牲にしてきたようです。
しかし、生産者はこれまで、販売先がJAしかありませんでしたが、食販会社が増えたことで、より有利な選択ができるようになったようです。
当然、より高く買ってくれるところに販売するのは自然な現象になります。
生産者は正直、もう悪化していく未来しかないといいます。
更に生産者は、自民党に従順だった農家も高齢者しかいないから、選挙では票を減らすばかりで、自民党議員も消えていく未来しかないと言います。
『ある生産者の言』
生産者です。今年は食販会社に、1俵、2万5千円で全量販売しました。
複数の食販会社に買い取り価格を聞いたところ、ほぼ同様でした。
したがって、米1キロ、600円以上で売らないと食販会社が赤字になるので価格が下がることはないでしょう。しかも食販会社の買い取り価格は、示し合わせたように、どこもほぼ同じ価格でした。

なぜ米価が高騰しているのか、根拠を探ると次の事実が上げられます。
1.北海道から沖縄まで、全国の米価は5kgで4,500円位で昨年の約2倍で取引されて、米価がほぼ同じくらいに設定されています。
2.公正取引委員会は「国民生活安定緊急措置法」と「生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律」や、高価格や品不足の背景に、売り手の競争をしない、させない、ゆがめるような行為があり、独占禁止法の可能性もあるにも関わらず、一向に動きません。
3.農水省などの官僚が、JAや各食販会社などへの天下り先を擁護するためか、政府備蓄米(政府米)の放出が極めて遅い。
これらの事実を鑑みますと、生産者や買い取り業者だけが米価高騰の原因ではなく、大きな組織が背後にあると考えます。つまり、米価高騰の黒幕は農水官僚や農水族議員が糸を引いているのは確実です。特にコメ1俵は票1票と言われているように、参議院選挙の農民票を当てにしている自民党も裏で動いている可能性もあります。
これに対し、国民は一致団結し、米価を下げるために、あらゆる手段を講じなければならないと思います。
おわり
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2025/2/19 石川栄一 |
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「貧乏人は麦を食え」
池田勇人蔵相は、緊縮財政下の不況の上、米価が高騰していた1950年12月7日、参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁した。これが「貧乏人は麦を食え」と伝えられ、国民の反発を買った。
後に首相も務めた池田氏だが、蔵相時代は失言が多く、52年11月27日の衆院本会議では、「不当投機をした人が5人や10人倒産(以下ヤジで聞き取れず)」と述べたのが、「5人や10人が自殺してもやむなし」と伝えられ、翌日辞任に追い込まれた。
【時事通信社】 |
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